買い出しに見出す旅の楽しさと喜び

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 私の買い出しの中心地である八俣村へは古河から東へ約10キロ、昼間はバスがある。間間田からは東南約15キロ、7キロ歩いたところに大戦防(だいせんぼう)の集落があり、ここから八俣村までの約8キロも、昼間は結城―境間を走るバスがある。切符のあるときは古河で降り、ないときは間間田で降りる。

 そして朝までバスを待ってはいられないから、真夜中、駅から夜道をかけて八俣村まで歩いてしまうのだ。帰りは買い出しの取り締まりをおそれて古河へは出ないで、取り締まりのほとんどない間間田へ出るのがふつうだった。往きはこうして夜の白々と明けるころに八俣村に着く。街道脇の景色のよい草原に陣取って焚き火を囲みながら朝の食事をするのだが、春など土と草の匂いが、幼いころの学校の遠足を思い出させて、私にはとても楽しいひとときだった。

 初めのうちこそ、初心者を連れて歩き、買い出しのやり方を手取り足取り教えたが、一,二回それを繰り返すと、食糧欲しさの執念というか、各人が独自の嗅覚をはたらかせてみるみる一人前の買い出し上手になり、独立して自らの買い出しコースを持つようになっていった。それからは朝飯を終えると、各自自分のコースへ散って行くのだが、帰りは大戦防行きのバスの最終時間にバス停で落ちあって、一緒に帰るようにしていた。

 こうした買い出し部隊は、多いときで五、六名になることもあった。そのときのわれわれの服装は見栄も外聞もなく、古い作業服に戦闘帽、地下足袋にゲートルを巻き、大きな段袋のような古いリュックサックを背負って、私が先頭に立ち、「旅笠道中」といった私の好きな旅の歌を大声を張り上げて歌いながら徒党を組んで歩いたものだったから、それはいっぱしの、泣く子も黙る闇屋集団にも見えたのだろう。どんな闇夜を歩いていても、野犬さえ尻込みして吠えかかっては来なかった。

 私はこうした夜道を歩くのが好きだった。貧しかったから若いころの二日コースの旅を昼夜兼行、宿にも泊まらず一日で行って帰る習慣が習い性になってしまったのかもしれなかった。昔はいつも孤独な旅だったが、いまは親しい友だちが大勢いて、楽しい集団旅行と少しも変わらなかった。それに私と猿島郡とは戦時中からの長いつきあいだったから、ここにはお得意さんになってくれる農家もずいぶんあって、食糧の入手ができないということはほとんどなかった。

 そうした心配のないいま、みんなとわかれて自分の買い出しコースを歩いていると、この猿島郡の広大な丘陵の自然は四季折々にその姿を変えて、いつも新鮮な風景を楽しませてくれた。とくに春の訪れとともに花が咲くころ、木々の緑が萌え立つ初夏や、秋の紅葉の楽しさは格別だった。

 生活の苦しさは私から本来の旅を奪っていたが、終戦になったいま、ふたたび「買い出しは旅だ」と改めて思うようになっていたから、本来の旅ができなくても少しも淋しいとは思わなかった。

 その猿島丘陵地帯で、草に埋もれたようななかに点在する藁葺き屋根の農家を訪ね歩き、庭先でリュックから出した品物を並べて物交交渉をする。商談の成立した後では農家の人も本来の素朴さに立ち返り、そうした人々との会話がまた楽しかった。

 昼は農家の縁先を借りて昼飯を食べる。そんなさい、お茶やお新香ぐらいはどこの家でも出してくれた。なかには米はわずかで麦と薩摩芋だけの私の弁当を見て、真っ白い米の飯と味噌汁を出してくれる家もあった。

 それはそれまで都会に抱いていた敵対意識や劣等感を跳ね返すためであったかもしれなかったし、単純に田舎の豊かさを誇示するものであったかもしれなかったが、そんなことは後になって考えたことで、そのときには涙を零さんばかりにしておしいただき、ありがたく食べさせてもらったが、おしなべて農家の人は満足そうな笑みを浮かべてそれを見ていた。

 ある農家の老人の話では、自分が若かったころ、東京見物に行き、上野の西郷さんの銅像の下で海苔の入ったかき餅を一切れ犬に投げてやったところ、犬は石を投げられたのかと思って逃げてしまった。戦時中ふたたび行ってこのときは石ころを投げたら、こんどは犬は食べ物と思ったのか、慌てて口に銜えたといって笑っていた。

 これまで百姓というと、犬にまで馬鹿にされたものだが、食糧不足の時代になると、犬までは尾を振って寄って来るという譬えなのだが、長いあいだの搾取にあえいで貧困に耐えて来た彼らにやっと巡ってきた春を心から喜んでいるふうでもあった。

 八俣村の仁連(にれ)というところに宿屋があると知ったのは、汽車の買い出しに行くようになってからだった。よそ目にはふつうのしもた屋と変わらず、どこにも宿屋らしい感じはしなかったが、宿屋と知ると、天気がいいときなど、私は一緒に行った人は先に帰して、たまには一泊二日の買い出しをして帰って来ることもあった。そうすることによって二回分の食糧を得られることと、心ゆくまで猿島の風光を楽しめたからである。

 二日間で得た食糧の半分は農家に預けておき、後日、私一人で朝からゆっくり自転車で取りに行ったり、天気のよい日などには夜半に家を出て都賀郡、結城郡、真壁郡、筑波郡を通る新コースを開拓してサイクリングを楽しみながら、帰りに猿島郡によって品物を受け取って帰って来るのだが、これは趣味と実益を兼ねた実に楽しい旅だった。

 この集団買い出しは、各人が懸命に食糧集めに励んだせいもあって、いつもうまくいき、帰りには背負いきれないほどの食糧が得られたので、みんなの顔にも喜びが溢れ、私も責任を果たせて感謝されることが多かった。
〈 草思社発行 長谷川末夫著 「汽車が好き、山は友だち」より抜粋 〉


※ 転記、太田



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