四男の兄の見舞いに身重の妻と塩屋への旅 2


 もたげた旅心、平郊外の閼伽井岳へ

 日立を出ると、これまでの汽車旅行で幾度も見慣れた常陸の海沿いを列車は走る。それは昔と少しも変わらない懐かしい風景だった。すると旅心がむくむくと頭をもたげて来た。昔の旅を思い、またいつ来られるかわからないと思うと、せっかくここまで出て来たのだから兄のところへは明日だっていいじゃないかと思い、今夜は湯本の温泉で一夜をすごそうと心に決めてしまった。

 湯本は炭鉱町で黒く煤けて殺風景な街だが、温泉旅館のあるあたりには、ほのかな湯の香りが漂い、古風な旅館の二階から浴衣がけの老人が手摺に寄りかかって、のんびりと外を見ている姿などには、やはり湯治場らしい雰囲気が感じられた。

 夜、何年ぶりかで入る温泉は心地よく、戦時中の悪夢が垢と一緒に洗い流されていくような気がして、よく今日まで無事に生き延びてこられたものだとつくづく思った。湯に浸っていると、自分だけがこんな贅沢をしていいのだろうか、毎日の生活に齷齪している四男の兄夫婦もここへ呼んで、ゆっくり骨休めをさせてやれればと思った。それで、夕方、宿から兄に宛ててすぐ出てくるようにと電報を打ったが、その夜、兄夫婦はあらわれなかった。

 翌日は快晴だった。二階の窓から昔よく歩いた阿武隈の山波がよく見えた。私は懐かしさのあまり、急に山に登りたい衝動にかられた。兄には夕方来るようにと宿から再度電報を打ってもらい、平の郊外にある閼伽井岳(六〇五メートル)へ登ることにした。ここには有名な赤井薬師があり、妻の安産を祈願したかったし、山頂からの展望を山の好きな妻にも見せてやりたかったからだ。

画像 朝九時の平行きのバスで湯本を出発する。駅前では、名産の柿が三つ十円、ふかし芋が四切れ五円で売られていた。ふかし芋を買って持って行く。

 バスは平で赤井行きに乗り換える。平の街は空襲を受けていなかったが、駅前の疎開跡地だけがそのままになっていて、人影も少なく、何か荒涼とした感じがした。

 終点の赤井でバスを降りたのは私たちだけである。ここは閼伽井岳参詣の登山口で、昔の土産ものを売る店も、いまは雨戸を閉ざしてひっそりしていた。

 かたわらの渓流で農家の女たちが、みごとな大根を山ほど積み重ねて洗っていた。それを見ただけで田舎の食糧の豊かさを羨ましいと思った。

 道はここから爪先登りとなる。一丁ごとに丁石が建っている。ところどころに登山者のための休み小屋ができていて、終戦前までは登山者も多かったようすだが、いまでは行く人もまったく絶え、松の落ち葉が一面に道を覆っていた。

 久しぶりの山登りに私はすっかり疲れてしまったが、妻は元気だった。十三丁ほど登ったところで松林がきれて見晴らしがよくなった。

 ここで一休みする。紅葉はもうすぎて山は冬枯れだった。一鳥だに鳴かず、ただ松籟の音のみして、初冬の山は淋しいものだ。

 ここはかなり高いところだが、こんな場所にも民家があって、みごとな実をつけた柿の木が家のまわりを囲んでいた。

 喉も乾いたし、ここなら少しは安く買えるだろうと、木戸まで行くと、「果物ありません」という大きな立て札があって、がっかりして引き返す。

 道はやがて老杉のあいだを登るようになって、頂上ももう近そうだった。大きな木のお札を持って山から下りて来る二人の男に会った。「ご苦労様」とおたがいに声をかけあって行きすぎる。

 山上の赤井薬師に着いたのは昼に近いころで、本堂の傍で寺の女中さんらしい人が洗濯ものを干していた。持って行った米を炊いてもらいたいと頼むと快く引き受けてくれた。

 昼飯のできるあいだ、薬師堂にお参りをすませて、日当たりのいい山頂から眼下に展開する太平洋の眺望を楽しんだ。塩屋岬の丘阜(きゅうふ)が海中に突出する右手に、兄のいる海岸町を見つけたとき、親や兄弟と離れてぽつねんと暮らしている兄のことを思い、胸が熱くなった。

 きれいなお重に心尽くしのお菜まで添えて、女中さんは昼飯を持って来てくれた。そして、
「ここのお祭りは旧の八月十五日で、その日は堂の内外に夜を徹してお籠りをする人が一万人を超したものです」
 と話してくれたが、敗戦になった現在、信仰も薄れたのか、お参りに来る人もほとんどなくなったと、淋しげな面持ちになったが、
「このお薬師さまにお参りすると、体も丈夫になり、よいことがありますよ。奥さんもきっと安産で丈夫な赤ちゃんが生まれるでしょう」
 と、わざわざこの山の上まで登ってきた私たちの労をねぎらってくれた。私たちはその言葉を、仏様のお告げのようにうれしく聞いて、心尽くしの昼飯をありがたくいただいた。帰りは往路をふたたび湯本の道へ引き返した。

 宿に戻ったのは午後四時すぎだったが、兄夫婦はまだ来ていなかったし、何の連絡もなかった。まさかとは思うが、ここまで来るバス賃もないのだろうか。妻は山の疲れも見せず、迎えに行くといってすぐ出かけて行った。

 兄のいる海岸町はバスで小半時の距離にある。それで夕食までには戻れるだろうと思った。宿は日帰り客で部屋が塞がっているのか、女中はしばらくここでお休みくださいと、私を二階の小さな部屋に案内してくれた。

 襖一枚隣の部屋には、男一人に女二人の客がいて、酒でも飲んでいるのか、賑やかな話し声が聞えてきた。山登りですっかりくたびれた私は温泉で疲れを癒して、ふたたび部屋へ戻って来ると、隣の客はかなりメートルが上っていて、男と女が縺れ合うように乱痴気さわぎを始めた。

 私はお茶を飲みながら、こんなところへ兄に来られてはまずいなと思ったが、兄たちはなかなかやって来なかった。すると、しばらくして襖がさっと開いて、隣の太った男が顔を出し、
「お一人ですか。淋しいでしょう。こっちで一杯やりませんか」
 と、声をかけてきた。私が遠慮して断ると、男はいったん部屋へ戻ったが、コップに冷や酒を注いで、また入って来た。私の前に胡座をかいて座りこみ、私に酒をすすめながら男心をそそるようなことをいう。

 その男の話によると、自分たちは今日仙台から来たのだといい、東京からくる旦那とここで落ち合う予定だったが、急用でその旦那が来られなくなってしまった。一緒に連れて来た二人の女のうち、一人は自分の愛人だが、もう一人は東京の旦那の思い者で、頼まれて連れて来たのだという。

 旦那が来ないとなると一人あまってしまって、女を一人で先に帰すわけにもゆかず、そうかといって自分一人で女二人を相手にすることもできないで困っている。もしよかったら、金は一銭もいらないから、今夜一晩もう一人の女をかわいがってやってもらえないかというのだった。

 この男が襖を開けたとき、ちょっと見えた隣の部屋の女たちは濃い化粧をした派手なロングドレスを着ていて、一見ダンサーのようでもあり、米軍相手のパンパンのようにも見えた。女房連れのうえ、用心深い私は、どんなうまい話があろうとも、この得体の知れない連中の話に乗る気はなかった。

 といって無下に断るのも角が立つので、
「今日はこれから女房がお客を連れて来ることになっているのです」
 と、いかにも残念そうにいってやった。太った男は、女房と聞くと、さも残念そうに諦めて自分の部屋へ戻って行ったが、そのとき私は男の持って来た酒も一緒に返した。

 酒は貴重品だったし、いまどきまともな酒などなかなか手に入らないはずだった。薄白く濁ったその液体をうっかり呑んで目でも潰れては大変と思ったからだ。男は闇屋らしく、進駐軍の着ているような黒い皮のジャンパーを身にまとい、首と銅のけじめがつかないほど太っていた。

 目つきの鋭い、品の悪い男だったが、貫禄だけは大したものだった。東京から来る旦那というのも、おそらく闇屋の親分なのだろう。たぶん、ここで大量の闇物資の取引きをするために女まで連れて来たのだろうと思った。
 〈 草思社発行 長谷川末夫著 「汽車が好き、山は友だち」より抜粋 〉


※ 転記 太田


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