家を失った都民のための濠舎づくり


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 昭和二十年に入って役所で何をしていたのか、いくら思い出そうとしても思い出せない。ただ、三月の空襲のとき、区役所へ仮庁舎建設に出勤したことと、その後、ときどき宿直をして庁舎を守るようになったこと、そして四月ごろから家を失った都民のために濠舎づくりが奨励されて、係長がモデル濠舎の案を立て、私たちがその設計図を引き、六月に日比谷公園に試作品を造って一般に展示したことがかろうじて記憶に残っている。

 その濠舎というのは四坪(13.2平方メートル)の広さに、深さ2メートル(下町は1メートル)地面を掘り下げ、屋根は機銃掃射にも堪えられるように、厚さ四十センチぐらいの土で覆った屋根をつけた穴蔵住居で、資材の一部は都で支給したように記憶している。見に来た人はずいぶんいたが、空襲は激しく、そんなものを造っている暇もなかったのか、完成したものを見たことはあまりなかった。

 電灯も水道もガスも便所もない、こんな穴蔵住居でも当時は高嶺の花で、見に来る人のすべてが羨望の溜息をついたものだ。私は一時上野の寛永寺裏にある桜の木の下で、これを見たことがある。そこは終戦になっても一年くらい人が住んでいた。

 仕事らしい仕事はそれくらいのもので、後はたまに焼けビルの調査に行って、ビルの応急住宅化の計画を立てたりしたが、実際には資材や人手不足で、ほとんど実現できなかった。そして暇さえあれば竹槍訓練をさせられたり、庁舎防衛にうろうろする毎日で、もう都民のための役所としての機能は麻痺してしまっていたように思う。

 〈 草思社発行 長谷川末夫著 「汽車が好き、山は友だち」より抜粋 〉


※ 転記 太田


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