案内人なしでは登れぬ南会津の枯木山と荒海山 前編


 枯木山と荒海(あらかい)山の旅に出たのは、徴用から帰ってすぐの昭和十七年四月十日だった。山麓の湯西川温泉にその日じゅうに着くため、朝暗いうちに家を出て東武の浅草雷門駅まで歩いた。この非常時に山登りに行くなどと人に後ろ指を指されないように、額には鉢巻きをし、徴用時代の古い作業服を着て、地下足袋ばきにゲートルを巻き、リュックサックは大きな風呂敷に包んで肩に背負って、どこかへ仕事にでも行くような姿で、人目を忍んでの出発だった。しかし、雷門駅に着いてみると、若い登山者の群れでいっぱいで、それほど気を使うこともないのかとも思った。

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 雷門駅から一番電車に乗り、新藤原(三円三十六銭)に出て、新藤原から湯西川温泉まで約六里(24キロ)の道を歩いた。そのころ鬼怒川温泉から川治温泉行のバス(50銭)があったが、乗客がまだ乗れるのに定員になるともう乗せず、そのくせガソリンの節約のためか空車が欠伸をしていても、あぶれた客には定員にならないと後続の車を出そうとはしなかった。その不親切に乗れない客と一緒になって運転手と大喧嘩をしたものの、いつになったら出るのかわからないバスを待ってもいられず歩いてしまったのである。

 湯西川温泉まで約七時間かかり、宿に着いたのは、灯点しごろだった。だが、依然として古い街道の面影を残す会津西街道を久しぶりに歩けたことで旅はいっそう楽しいものになった。

 湯西川へは徴用にいくまえに一度来たことがあり、こんどは二度目だった。初めのときには東京からわざわざお客さんが来てくれたといって、宿の主人が大歓迎をしてくれた。そのころの私は乞食のように粗末な身形(みなり)の貧乏書生だったが、それでも二階の一番大きな部屋へ案内してくれ、宿の主人は大きな障子をがらりと開けると、川に向かって、
「おーい、東京からお客さんが来たぞおー」
と、大声で叫んだ。川には若い男が魚を釣っていたが、わかった、と合図を返していた。

 その夜、目の下30センチもある岩魚だか山女だかをご馳走してもてなしてくれた。そればかりか翌日、宿泊料もだいぶ安くしてくれて、東京へ帰ったら大いに宣伝してくださいと頼まれた。

 二度目のいまも湯西川の素朴さはそのころと少しも変わっていなかった。都会では戦争と食糧不足に大騒ぎをしているのに、ここは平和そのものでそんな慌ただしさは微塵も感じられなかった。

 宿では私が枯木山と荒海山に登るというと、険しい山だから東京の人にはとても無理だといって、翌日、山に詳しいという老人を一人、道案内につけてくれた。それまでの山旅で私は案内人をつけたことは一度もなかった。旅費を少しでも倹約するためだったが、この二つの山に登ってみると、その険しさはとても一人では登れないほどのものだったし、失敗してふたたび出直すことを考えると、案内人と一緒に行ったほうがずっと安上がりだった。

 第一日、枯木山に登る。上りは休憩時間を入れて約七時間半、下りには四時間を要した。朝四時、宿を出発、川俣への道を進み高手(たかて)の村落から尾根に取りつく。この山には途中三ヵ所の捕鳥場がある。これは尾根の暗部に木の柱が建ててあって、秋になると霞網をしかけて渡り鳥のかかるのを待つのだ。案内の老人は、
「秋になったら取り立ての鶫(つぐみ)の焼鳥をご馳走するからぜひ遊びに来てください」
といってくれた。

 第三捕鳥場まで道は幽かな踏み跡があったが、それから先はまったくなくなり、深い原始林のなかを熊笹をわけて進むので、実に苦しかった。枯木山は頂上が小毛無、大毛無の二峰にわかれていて、小毛無の直下からその側面を巻いて国境尾根に取りつき、その奥にある大毛無に登るのだが、この国境尾根は一面の灌木帯で、その上を渡って進むのは本当に苦行だったが、反面、まるで天狗にでもなったような豪快な気分も味わえた。

 頂上は小広い姫笹の原で、周囲を灌木が取り巻いている。山頂に立てば、南会津から北関東は一望のうちに広がる。とくに尾瀬の燧ヶ岳と奥日光連峰の威容には息を呑んだ。枯木山の山頂は人を寄せつけない峻険さに守られて、その人跡まれな静けさは太古そのままのもので、まさしく秘境というのにふさわしかった。

 下山はふたたび往路を湯西川に戻って一泊した。

 〈 草思社発行 長谷川末夫著 「汽車が好き、山は友だち」より抜粋 〉

次回は判読不能ながら、参考資料として末夫さんの生原稿を掲載予定。
今回は簡易な内容だったが、微に入り細に入りの内容である。

※ 転記 太田
   
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