会津 博士山登山


昭和15年5月の山行記。

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 私が博士山の存在を知ったのは小学六年生のときだ。勉強はできなかったが地理が好きで、とくに地理付図だけはよく見たものだ。その付図に奇妙な名称の山があった。その山は会津地方でただひとつ火山記号がついていて、ピョコンと突出している独立峰だった。いかにも秘境らしい会津の辺境にあったから、大きな地図でその存在をたしかめて登ってみたいものだと長いあいだ思っていた。役所の月給も増えたことだし、徴用が来る前に思い残すことなく登っておきたいと、五月中旬、急に出かけて行った。上野駅を夜行で発ち、郡山経由で会津若松より会津線に乗り換えて柳津(やないづ)駅に下車。山はこの南方二十キロの奥にある。交通が不便なため柳津には昼ごろになってしまった。

 柳津には有名な柳津虚空蔵尊が駅の近くにあり、お参りする。京都の清水寺のような舞台造りで只見川の淵にできていた。そこに立つと目の前を流れる会津の大河の雄大な眺めが一望のもとに得られる。博士山へ行くにはここから只見川の支流の滝谷川(たきやがわ)に沿って上流へと県道を約二十キロ、バスもないので歩くのだ。このへんの人は本当に山出しといった純朴な人が多く、博士山などと聞いても知る人がなく、地図を頼りに歩くよりしかたがなかった。滝谷川は只見川の一支流でかなり大きく、渓谷も美しく、奥も深いようだった。点々と簡素な村落と田舎びた風景が続き、歩いているだけで楽しかった。

 やがて道の右手に湯ノ岳という小高い山が見えるあたりまで来ると砂子原(すなごはら)の村に着く。村の小沢で玉子を茹でているのを見て驚いた。聞けば、このあたり一帯、ほうぼうに温泉が湧き出して一大温泉郷をなしているという。無名僻遠のせいか、旅館は一軒も見当たらず、観光客の姿もない。粗末な自炊小屋が点々と建っているばかりだった。ここでも博士山のことを聞いたがわからず、老人なら知っているだろうと聞いてみた。するとこのずっと奥に琵琶首というところがあるから、そのへんで聞いてみるようにと教えられたが、山の名までは知らなかった。もの好きにも博士山などという変な山に登る人もいないようだし、登山道もなさそうだった。

 谷はしだいに狭くなり、だんだん山が深くなる。点在していた村落も間遠くなり、山はさらに深くなった。大成沢(おおなりさわ)の村をすぎると、いよいよ村落はなくなった。この先に村はあるのか、泊めてくれるような家はあるのか、まずそのことが頭をかすめる。だいたい目的の山というのは歩いてその行く手に見えるものだが、ここでは森と小山が重畳としているせいか、いっこうに見ることはできなかった。かなり歩いて夕方近く、やっと琵琶首の寒村に着く。なんと草深い感じのところだろう。落武者の隠れ里のようで、数軒の農家がひっそりと肩を寄せ合っていた。

 これまではどこへ行っても、頼めば農家で一晩ぐらいは泊めてくれた。おそらくここでもそうしてくれるだろうと頼みに行った。すると、じろりと一瞥しただけで隣へ行ってごらんと断られた。何軒もない家数だから一まわりするのに何分もかからない。ところが泊めてくれるという家はどこもない。この山奥の淋しいところで今晩どう過ごそうか、腹は減るし、うすら寒くはなるし、旅空での夕暮時の哀しさが身にしみた。さっきの温泉場まで戻ろうかとも思ったが、あまりにも遠くへ来すぎてしまったし、ランプなしではとても歩けそうになかった。塒(ねぐら)を失った迷い鳥のように、どうしようかと思いあぐねた。

 ところがところどころに納屋があった。(よし、ここで一晩泊まってやれ)と覚悟して納屋へ入った。なかには藁の山があり、そこにごろりと横になると、一晩ぐらいは過ごせそうな気がした。けれど一時間ばかりたつと、どこからともなく犬がやってきて人の気配を感じたのかワンワン吠え出した。すると犬が犬を呼び、一匹が二匹となり三匹となって大合唱を始めた。しまいに納屋の粗末な戸をガリガリ引っかきはじめたのだ。このへんの犬は野犬なのか獰猛で、私は必死になって戸を押さえた。犬が飛びこんで来たら食い殺されるかもしれない。
「助けてくれ!」
思わず大声で叫んでいた。
その声を聞きつけた前の家人が出て来て、ようよう犬を追い払ってくれた。このへんの犬は相手が逃げ腰になると、どこまでも追いかけてくるから蹴とばすなり、石や棒で叩くなりしなければ本当に食い殺されてしまうそうだ。そして、
「まだこんなところにいたんか」
と、呆れた顔でいいながら、家に招じ入れて、泊まることを承知してくれた。

 私が東京府庁の役人だと名刺を出すと、やっと安心した顔になり、こんなところへ何しに来たのかとたたみかける。博士山へ登りたくて来たのだというと、こんな名もない山に酔狂にも東京からわざわざ登りに来るなど、とても考えられないと、不思議な顔をしている。苦しいだけで金儲けにもならない山登りなどするような人はこのへんにはいない、戦時中のいま、不審な者の入村はとくにうるさく、知らない人は泊めたがらないというのだ。主人は元来素朴で親切な人だった。私が泊まるとなると、飯を炊いて山菜で料理を作ってご馳走してくれ、翌日のために大きなおむすびを三つも握ってくれた。東京とは米が違うのか、とてもうまかった。

 食後、博士山についていろいろと話してくれた。この山は大昔、山麓の高田町(会津高田町)にある国弊中社伊佐須美神社の神が頂上にお住まいになっていて、いまでもそこを社峰といって、当時の手洗石が苔むして残っているという。主人の話では博士山はこの上だが、登る者もいないから道はない。ただ一つ登るには大谷滝(沢で雨裂が発達して大きくなったもの)を登ればよいという。縦走して下るときは眼下の松倉川(まつくらがわ)へ下りればいいのだが、ここにも道はなく、迷いやすいから用心すること、目印は高田町の御本社のお祭りのさい、社峰の神様が頂上から大ザスという大きな葉の草の種を蒔き蒔き町へ下るので、その道筋に大ザスがちょうど生え出しているからそれについて下ればよいと教えてくれた。
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 大谷滝はこの家の前の小尾根を越えたところにあった。小道がそこまでできていた。翌朝、宿の主人は大谷滝の入口まで見送ってくれたが、きのう恐ろしい思いをした野犬の姿は見えなかった。私は助けてもらったお礼をいい、一円でいいという宿泊料を一円五十銭払って大谷滝の入口で彼とわかれた。大谷滝は水もなく大石がゴロゴロしていて、周囲は隙間のないほどの原始林に覆われた夜のように暗い沢である。登りはかなり急だが、石の上を跳ね跳ね登って行く。いくら登っても展望は開けない。しーんと静まり返った原始林は、馴れるとなかなか魅力があるだけでなく体にいいような気さえして、一休みごとに大きく息をし、胸いっぱいに空気を吸う。

 沢の入口より約三時間で博士山頂上に立つ。途中にタワラ岩という巨大な露岩がある。途中に危ない個所はないが、タワラ岩だけが難所だ。しかし、用心して一歩一歩登れば案外楽だった。人気のまったくない薄暗い千年の巨木に囲まれているとタワラ岩周辺は、現世というより太古の神秘の世界というのがふさわしい気がした。タワラ岩をすぎても原始林は続く。やがて沢が二手にわかれる。右へ入ると社峰の沢で、左に真っ直ぐ進むと原始林は終って行く手は明るくなり、博士山本峰に辿りつく。海抜一四八二メートルである。頂上は三峰にわかれていて、三角点のある中央の峰が博士山で、東方に大博士山、西南に社峰がある。

 旧火山と思っていたが、見たところその形跡はどこにも見当たらなかった。山頂は雑草と灌木がまばらにあり、見晴らしはそれほどではなかった。しかし、この山こそ本当に人跡まれな秘境そのものの感があり、初登頂の喜びは大きかった。頂きより会津の名峰が一堂に揃い、飯豊山、磐梯山、遠く朝日岳、安達太良山、尾瀬の燧ヶ岳、さらに遠く日光の山々など目を凝らせばかぎりがない。山頂でゆっくり秘境の気分を味わいながら握り飯を食べ、昼すぎに後ろ髪を引かれる思いで山に別れを告げた。

画像 下山は眼下の松倉川の谷へ下るのだ。道はなく初めはかなりの急斜面で雑草のなかだが、宿の主人のいったとおり、1メートルもある大ザスの大きな葉が雑草のなかに行儀よく二列に並んで谷を下っていた。初めの急斜面も谷底へ下ると広々としたデルタ状の平地になった。大ザスの葉はここでなくなったが、半壊の赤い鳥居が建っていて、そこから小道が松倉川に沿って走っていた。そこに昔、鉄道の枕木を採取した小屋跡があり、また昔の木地師の小屋もあって、子供が使う赤い小さな茶碗をはじめ、食器が散乱するなど人の生活の匂いが漂っていた。会津には木地師が多い。彼らは辺境の山奥に住み、ロクロをまわし木製の皿小鉢を作って生活している。原木がなくなると他の山へ移る。決して人里へ出ないで、山窩(さんか)と同じような生活形態をとっている。彼らは大昔から主権者の免許を受け、日本国中、どこの山でも自由に原木を採ってもよいといわれて、日本中の山を渡り歩いて生活をしているのだという。私は彼らから山の話を聞きたかったが、去ったあとで残念だった。

 道はここから約十五キロ、松倉川を幾度となくからみながら下っていく。緩やかな下りで静かな樹林のなかだった。松倉川の渓谷は小さいが、なかなか美しい。振り返ると博士山が谷の奥に毅然たる姿で聳え立っていた。少し大きな宮川の村で博士峠を越えてきた県道と合し、西本、高橋などの村落を経て進むと、街道町の細長い会津高田の町に入る。町の中央、街道の右手に立派な伊佐須美神社がある。参拝して町のはずれの会津高田駅より列車に乗って、懐かしいこの旅を終えた。

 〈 草思社発行 長谷川末夫著 「汽車が好き、山は友だち」より抜粋 〉

文中に「戦中」とあるが、昭和15年の記録なので、末夫さんは日中戦争を指しているものと思われる。

(転記 太田)




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