表吾妻日帰り縦走


このハイキングコースは前回とほとんど同様で、硫黄製造所跡より幕ノ場へ下る間だけが異なる。
そこで硫黄製造所跡までは前回の記事を参照してもらって、それより後のコースを記す事にしよう。
今回は、二年後に訪れた昭和13年10月2日の夜行日帰り記録。
では例によって、末夫さんの当時の記録を転記する。
(読みにくい部分は平易な表現に変えた)


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私の登ったのは、前回は新緑の頃で、今度は紅葉の最盛期(10月初旬)で有った。
吾妻の紅葉は実に素晴しく、山よりも風景よりも勝れたもので有った。
高倉山の鞍部より見た栂森や洞貝の燃えるが如き美しさ、青木小屋付近より家形山方面の紅葉等、とても筆舌の景ではなかった。

硫黄製造所跡の付近一帯は、明治22年の大噴火による不気味な焼石原で、実に鬼気迫るを感ずる。
此れは鳥ノ子平の一部であって、鳥ノ子川が流れている。
今此処に噴火の犠牲となった硫黄製造所の技師の碑が二つ、淋しく建って旅人の涙をさそっている。
一度歩いた事のある微温湯への道が、樺太辺りの高原を想わせる様に、小富士の左側を越えている哀しい様な此の風景も、東北の山々のみが持つ強みで有ろうが、扨幕ノ場への道は此れより湧沼の右側を緩やかに登る。

左高峰、右東吾妻のなだらかな鞍部目指して上る。
樅や五葉松や熊笹の明るい原生林帯で、左手には小富士が明るい原生林の様に浮かぶ、辺りたまらぬ絶景で有る。
漸くして道が高峰と東吾妻の鞍部に着くと、約一丁四方も有る湿原にと出る。
芝生よりも更に細い草が一面に絨毯を敷き、小さな泉水が有る。
又此の湿原を、自然の風雪にいじめられて育った美しい格好の原生林が囲み、近く東吾妻の秀峰が実に絵にも口にも云ひ表し得ぬ麗景で有る。
山を愛する者のみが知る天国で有ろう。

道は此れより再び明るい原生林を緩やかに下る。
漸くして地図でも判るが、道は急激に足下の谷にと下降する。
道が山毛欅(ぶな)の原生林へと入ると、すぐ足下の樹林の間に幕ノ湯の旅舎を発見するで有ろう。
温泉は無色透明の素晴しい湯で、胃腹病に特効が有ると云ふ。

沼尻へは一寸の間、土湯への道を下り、すぐ右へと別れる。
相ノ峰より土湯峠への峰の左裾を辿り、鷲倉温泉に出で、土湯よりの道を横向温泉に下るので有る。
横向からは沼尻へバスが有る。
又、鷲倉温泉へはトラックが入るから。運良く通り掛かったら頼んで乗せてもらう手も有る。
然しそれは余り当てにせぬ方がよい。

私は幕ノ場より土湯へ下ったので、此の道を説明しよう。
幕ノ場を出ると道は幕川の支流に沿って下るが、やがて本流の左手に沿って下る。
此の辺に、ぶなの原生林の中に新幕温泉が見える。
此の道は途中より鬼面山や安達太郎山の主峰が目を楽しませてくれる。
野地温泉付近の噴気孔らしきものが盛んに白煙を上げているのも見えた。
途中で川は遠く離れた。
道は更に森林を潜り谷を越えて、緩やかでは有るが可成り長い道だ。
下るにつれて次第に樹林は多くなり、展望もなく、かなり飽き飽きする道で有る。
幕ノ場より約150分程して、突然目下に土湯の賑やかな温泉街を発見するで有ろう。
最終のバスに時間が有れば、、心地よい硫黄泉に一浴するのもよいで有ろう。



おそらくすべて木造の、当時の土湯温泉の賑わいを思い浮かべるのだが、今はそれにも増して、信じられないほどの数の高級旅館が林立している。
また、現在は「吾妻磐梯スカイライン」で、これらの山や温泉も簡単に訪れることも可能になっている。
この山域は、季節とコースを正しく選べば、車で訪れることが出来る割と簡単な山、との認識しかないものの、こうして徒歩移動しか手段のなかった山の記録は、読んでいて面白い。
面白がっているのは私だけかも知れぬが、やがて戦後になり、なおも末夫さんが福島の西の山奥、そしてまだ当時はあまり知られていなかった利根川源流付近の探訪を目指すきっかけとなったことを思えば、それなりの感慨も芽生える。
それらの記録開示は、戦後に書かれた原稿や著書まで取って置くことにする。(太田)


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