籠ノ登山 四阿山縦走


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もう二十年も前のこと、籠ノ登山へ登った。
当時は温泉巡りばかりしていた。
初秋の平日、高峰温泉に宿泊。
快晴の翌朝に見た山容が魅力的に映った。
それは水ノ塔山と籠ノ登山が一体になって、登行欲を激しくそそるものだった。
両山の稜線歩きは、さぞ気持ちが良いだろう。
急遽、宿に弁当を作ってもらい、出掛けることにした。
どこへ行くにも車移動なので、山の装備だけではなく、関東甲信越の地図も持っていた。

ゆるゆるとカラマツの斜面を進むと、すぐに展望台がある。
矢印のペンキを横目で見ながら、30分ほどで水ノ塔山の山頂に立った。
雲が出始めて眺望はそれほど利かなかったが、浅間が少しだけ見えた。
手前は黒斑山だ。
籠ノ登山に続く稜線は想像通りの気持ちの良い尾根道で、北側は樹林帯。
反対の南側は斜面が崩れ、すぐ下には林道が見える。
帰りはあの道を歩くのかと思うと、マイカー登山がうらめしかった。

わずかな樹林帯を抜け、草付の斜面を行くと、水ノ塔から40分ほどでガレた籠ノ登山の山頂に着いた。
三角点にタッチ。
これが一等だったので、ちょっと得をした気分になった。
この籠ノ登は「東籠ノ登山」で、すぐ先に「西籠ノ登山」がある。
30分で往復、すぐに「東」に戻り、弁当を開いた。
北アルプスが見えるというが、西側は雲に閉ざされて判然としない。
代わりに、北八ヶ岳が指呼の距離に望めた。
視線を落とすと高層湿原の池ノ平。
草紅葉には少し時期が早かった。
それでもわずかに色づき始めている。
こんなところで食べる弁当は、どうしてこんなに美味しいのかと思う。
充分に満足し、兎平へ向けて下った。

現在は迷いようのない立派な登山道だが、末夫さんの昭和12年の記録を見ると、道がまったくないことが判る。
私とコースは逆だが、例によって、その部分を抜粋してみよう。
彼は信越本線の滋野駅に降り立つと北国街道を横切り、池ノ平から登っている。


 めざす籠ノ登山はすぐ目の前だ。すばらしい山だが、登る人はなく道もない。いったんその鞍部に下り、頂をめざして高山帯の草のなかを登ると、二十分ほどで円頂の本山に着く。頂は岩石帯で人気なく太古の静けさを保っていた。山頂に立てば遠く南北両アルプスが屏風のごとく連なり、近くは八ヶ岳、浅間山、富士山と名峰がずらりと覇を競い、足下には上田、小諸の市街が箱庭のように見えた。
< 草思社発行 長谷川末夫著 「汽車が好き、山は友だち」より抜粋 >


懸賞当選コースとあるので、おそらく山渓あたりに記録を投稿したのだろう。
当時の自慢げな顔が浮かぶようだ。
ただし、地図の距離感は正確ではない。


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さて、四阿山である。
この山も、私は一度しか登っていない。
それも、もっともポピュラーで簡単な、菅平から根子岳経由のピストンだった。
私が十代の頃のことだから、もう数十年前の山行である。
現在とは違ってお洒落なペンションなんぞは皆無で、いくつかのホテルとスキー場、それに民宿があるだけだった。
二月の厳冬期、スキーヤーたちの嬌声に背を向けて、友人と二人で山頂を目指した。
蹴り込んだアイゼンがあまり利かない程の寒さと厳しさだったことだけは、今でも鮮明に覚えている。
ピッケルを使いながら、行動食のアーモンドチョコを立て続けに口に放り込んでばかりいた。
あの時のチョコは美味かった。
菅平といっても、最近は須坂から小諸へ抜けるルートの途中として、すっかり立派になった国道を走るばかりである。
この四阿山は、避暑がてらに登る夏山がよろしい。

また末夫さんの記録を見てみよう。
彼は鹿沢温泉で一泊、早朝3時から登行を開始している。


 高原のなかを吾妻川の谷へ下り、古永井の部落から長野街道を左へ折れ、二時間ちょっとで鳥居峠に着く。鳥居峠は静かな落葉松の峠だ。右手に近く四阿山が屹立している。一休みして、ふたたび登山を開始する。道といっても防火線の切り開きを登るので、ちょっと迷いやすい。まず本山より延びている尾根に取りつく。約二時間、雑草の多い苦しい登りだった。
 そこは賽ノ河原という広いガレ場だった。見晴らしは絶佳。一休みして、ふたたび熊笹を泳ぎ、原始林を潜り、一歩一歩登って行くと菅平よりの道と合して、しばらくして頂きに着く。頂上は二峰にわかれ、高いほうに四阿山神社、低いほうに一等三角点がある。社殿の傍らに粗末だが石室があって泊まることもできる。頂きよりの展望は籠ノ登山と同じだが、眼下に須坂町、少し離れて長野市と千曲川の流域などが望める。
 下山は本山よりの主尾根を浦倉山のほうへ辿り、すぐ左手の米子川の谷へと下る激しい下りで、熊笹多く、下りきった地点に米子硫黄鉱山がある。ここは火口底のように両側が高い火口壁に囲まれていて、各所に滝があり、それはそれはみごとなものだった。道は米子川の谷を下り、途中で川とわかれ、山頂より約四時間で上組の集落に着く。ここからゆっくり歩いても須坂の駅までは約二時間で達する。

< 同 抜粋 >


簡単な記述だが、鉄道以外はすべて徒歩移動なので、その健脚ぶりに改めて脱帽である。
おまけに、スケッチまで残す時間も確保している。
もっとも、籠ノ登山などもまだ登山道もない時代だったから、ひたすら歩き続けるしか術はなかった。
そんな中でのアラインゲンガーの挑戦と、余裕の画描である。
私の登山もすべて単独行だが、カメラは構えても、スケッチで風景を残そうとまでは考えない。
もしもカメラなどという小賢しいオモチャがなければ、簡単なスケッチくらいは残すだろうし、本当はその方が現場での感動が大きいくらいは判っている。
それにしても毎度思うのだが、隔世の感がある。
昭和12年、末夫さんの山旅も、段々と窮屈になって行く。

ところで、私の十代の頃は、山仲間同士で菅平を「かんぺい」と粋がって呼んでいた。
山好きの若い友人に訊ねたが、怪訝な顔をされた。
これも隔世の感がある。(太田)


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