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旅と山登りと買い出しと

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昭和という波瀾に富んだ時代をしたたかに生き抜いた一庶民、長谷川末夫の貴重な生活の証言。

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タイトル 日 時
建物の強制疎開と始まった空襲
建物の強制疎開と始まった空襲  猿島郡へ買い出しに行くようになってから、建築資材を欲しがる農家がかなり多いことを知った。この年の初め、政府は防空上の目的で都内の建物の疎開を強制的に行うことを決め、夏ごろからさかんに各所で建物疎開が始まった。私の役所でも壊すことが仕事の一つになり、あちこちで役所の建物の取り壊しの監督をした。 ...続きを見る

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2018/01/21 00:00
買い出しも旅、茨城の猿島郡まで自転車で 2
買い出しも旅、茨城の猿島郡まで自転車で 2  この買い出しに持って行く品物はだいたい役所からの配給品だった。その主たるものを挙げると、作業服上下(年三回ぐらい配給)、ゴム長靴(年に1,5回ぐらい)、軍手、軍足、地下足袋、ズック靴、ゲートル、作業帽(これらは2、3ヵ月に1回)。こうした品物のほかに使い方もわからない分厚いズックの布地二メートルやゴムの氷枕、麻の南京袋、一升瓶に入った酒等々、どこから仕入れてくるのか、品物ならなんでもいいだろうと、たびたび配給してくれた。 ...続きを見る

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2017/12/23 18:30
買い出しも旅、茨城の猿島郡まで自転車で 1
買い出しも旅、茨城の猿島郡まで自転車で 1  (昭和19年)九月ごろ、町工場に行っている四男の兄は会社から作業服一揃えに帽子から軍手、軍足、地下足袋までもらって来て、私にこれを食糧と交換して来てくれという。これらは農家でもっとも喜ばれる物物交換の品物だった。私はさらに倹約してためておいた電球と石鹸を添えて、これなら必ず食糧は手に入ると妻と二人で喜び勇んで出かけて行った。 ...続きを見る

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2017/11/25 20:00
このごろ世の中がキナ臭い 後編
このごろ世の中がキナ臭い 後編 前回の「このごろ世の中がキナ臭い 前編」からの続きです。 ...続きを見る

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2017/07/01 00:10
このごろ世の中がキナ臭い 前編
このごろ世の中がキナ臭い 前編 ずいぶんご無沙汰してしまいました。 本来の管理人HASEGAWA氏が、実父末夫さんの生原稿を保管しているにもかかわらず、ブログにノータッチを決め込んでおりまして、滞ったままでありました。 でも、決して放置したままで終わらせるつもりはなく、ならば仕方ないですね、またしゃしゃり出て、お口ならぬお目汚しで間をつなごうと、管理UNIONが記事をアップさせていただきます。 ...続きを見る

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2017/06/30 23:50
生活窮迫、カボチャを買いに埼玉の栗橋へ
生活窮迫、カボチャを買いに埼玉の栗橋へ  日光の旅から帰ってきたころ、日本の戦況は予期に反していっそう悪くなっていた。六月中旬、サイパン島に上陸した米軍を撃つべくマリアナ沖海戦(サイパン西方)が行われたが、わがほうは多くの空母、飛行機を失う大敗北といわれ、西太平洋の制海権は完全に敵の手におち、開戦以来最大の重大な局面となった。 ...続きを見る

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2016/02/15 13:00
足尾から庚申山探訪
足尾から庚申山探訪 終戦前年の6月、新婚旅行で日光へ来た末夫さんだが、蜜月も関係なく、友人同伴の三人旅行にしてしまった。 前回の内容にも、「いくらなんでも若い男女が二人で歩ける時代ではなかった…」と書きながら、中禅寺湖畔では「湖畔には新婚者らしい若い二人連れをよく見かけた…」と綴り、若干の矛盾を露呈させている。 しかし、新婚旅行を口実に山旅をしたかったとも述べている。 その言い訳として友人を誘ったのだが、新妻を東京へ帰した翌日、仮病で休暇を取った友人もすぐに離脱している。 いや、少し読めば、友人も登... ...続きを見る

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2016/01/15 20:00
奥秩父 唐松尾山登山
奥秩父 唐松尾山登山     唐 松 尾 山   1995年12月6日 (水曜日) ...続きを見る

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2015/12/06 20:00
笠取山登山 〜海まで138キロ〜
笠取山登山 〜海まで138キロ〜    笠 取 山   1995年11月22日 (水曜日) ...続きを見る

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2015/11/22 20:00
新婚旅行で日光へ
新婚旅行で日光へ  世の中がどうなっていくのか、いつ兵隊にとられるのかわからないながらも、運を天に任せてこの年(昭和19年)の春、四月二十三日、雷の鳴るなか私は結婚した。相手は私より数年後輩の同じ職場の岩島志満子という女子職員だった。 ...続きを見る

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2015/10/15 20:00
空腹の日々
空腹の日々  海のかなたでの戦局は期待に反して重大化していたが、国内の生活もさらにいっそうの苦しさを増していった。 ...続きを見る

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2015/09/15 20:00
昭和十九年
昭和十九年  三陸の旅(参照)から帰ってきたころ、敵はソロモン群島北部のブーゲンビル島に有力部隊を上陸、日本はこれを阻止するために、十一月一日から五日にかけてブーゲンビル島沖海空戦を行ったが、大本営は、海戦で敵の巡洋艦と駆逐艦十四隻、大型輸送船四隻撃沈破、航空戦では空母二隻轟沈、巡洋艦等四隻撃沈、上陸用舟艇四十隻以上撃沈、敵機撃墜十機、わがほうの損害、駆逐艦一隻沈没、巡洋艦一隻小破、飛行機は陸海あわせて十八機と大戦果を発表したが、後日、判明したことは劣勢の日本はそのころ艦船も少なく、可動飛行機も三百十機... ...続きを見る

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2015/08/15 20:00
安達太良山麓の旅、芸者がくれた乾麺
安達太良山麓の旅、芸者がくれた乾麺  六月中旬、福島駅からバスで土湯温泉に出て、そこから歩いて土湯峠を越し、その日は沼尻温泉で一泊。翌日、安達太良山麓を歩いて赤木平を越え、本宮駅に出た。途中の高原の風光はすばらしく、スケッチなどしていたため、平野部におりたのが少し遅くなってしまった。駅へ行くまで食糧探しをずいぶんしたが、時間が遅くなったのと気が急いていたせいか、食糧は米一升しか手に入らず、駅へ駆けこんだときは一足違いで上野行きの最終に乗り遅れてしまった。 ...続きを見る

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2015/07/15 20:00
昭和十八年の山旅と、買い出しのことなど
昭和十八年の山旅と、買い出しのことなど  この年(転記者注、昭和18年)私の行った主な旅は、一月の阿武隈のほか、四月には猪苗代湖東部の山の旅で、東北本線郡山駅より八幡岳(1102メートル)、会津布引山(1081メートル)に登り、茨城街道を江花(えはな)から東北本線須賀川駅に出た二泊三日の旅では、米八升(十二キロ)入手した。六月には安達太良山麓を一周、赤城平(1050メートル)を越えて東北本線本宮駅に出る二泊二日半の旅で、米一升(1・5キロ)と大束の乾麺四把を芸者さんからもらう。八月には北那須縦走、東北本線黒磯駅より板室(いたむろ)... ...続きを見る

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2015/06/15 20:00
同僚Tの失恋と、阿武隈高地の旅
同僚Tの失恋と、阿武隈高地の旅  昭和十八年は前年に比べたら、比較的旅をした年だった。そのきっかけは役所の同僚Tが失恋に悩んでいたときで、彼を元気づけるために正月休みに東北本線二本松駅から常磐線大野駅へと途中にある旭岳(日山、天王山1058メートル)を越え、雪の阿武隈高地横断の旅へと連れて行ったのだが、ちょっとしたことから帰りに少しまとまった食糧を手に入れることができ、それに味をしめて、当時の食料不足に耐えかねると、ようすを見てはたびたび食糧漁りの旅に出かけたためである。 ...続きを見る

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2015/05/15 20:00
東京都の誕生
東京都の誕生  昭和十八年七月、東京は府と市が合併して東京都と名を変えた。この非常時に大東亜の中心・東京が府と市の二重構造となっていては何かと行政の円滑を欠くという理由からで、強力な体制を作るのが目的だったようだ。予定では十月発足だったが、内外の情勢の急迫で七月に早まった。 ...続きを見る

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2015/04/15 20:00
昭和十八年、臨戦態勢の強化と山本五十六元帥の戦死
昭和十八年、臨戦態勢の強化と山本五十六元帥の戦死  昭和十八年、新しい年を迎えたが、戦局の悪化は決戦体制の強化をもたらし、われわれの生活にも影響して苦しい生活の幕開きとなった。 ...続きを見る

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2015/03/15 20:00
役所の若い職員を連れて秩父の三国山鍛錬登山
役所の若い職員を連れて秩父の三国山鍛錬登山  こんな世情になっても、日本が負けるなどとはまったく思いもしなかったし、少しでも体を鍛えておいて、いざというときにはお役に立ちたいと思っていた。十一月(昭和17年)の初め、ちょっとしたきっかけで、また三日ばかり心身鍛錬を目的とした山旅をすることになった。それは来年兵隊検査を受ける若い職員たちから、 「少し体を鍛えておきたいから山へ連れて行ってくれませんか」 と頼まれたからだ。 ...続きを見る

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2015/02/15 20:00
戦局悪化と滅私奉公
戦局悪化と滅私奉公  ミッドウェー海戦の後、勝ちに乗じた米英の反撃が開始された。昭和十七年八月上旬、ガダルカナル島とツラギ島に大輸送船団をしたがえた米英連合艦隊が上陸進攻、ガダルカナル争奪の第一次ソロモン海戦が始まった。 ...続きを見る

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2015/01/15 20:00
塩原の日留賀岳に登る
塩原の日留賀岳に登る  ミッドウェーの敗戦で日本が重大な岐路に立っていたこの時期、そんなことはまったく知らない私は旅への思い抑えがたく、その年の八月(昭和17年)、奥塩原の日留賀(ひるが)岳(1849メートル)登山に出かけた。この山は徴用に行くまえの下調査で、地元の人たちから信仰の山として崇められ、道のあることがわかっていた。そろそろ休みもとりにくくなったいま、土、日を利用して内証で行って来られることもあって選んだのだ。 ...続きを見る

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2014/12/15 20:00
ミッドウェー海戦のころ
ミッドウェー海戦のころ  昭和十七年の六月上旬、日本の運命を左右するミッドウェー海戦が行われた。四月の東京初空襲以来、山本連合艦隊司令長官は敵殲滅をはかり、連合艦隊の総力を投入してミッドウェー沖に一大決戦を挑んだ。 ...続きを見る

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2014/11/15 20:00
野菜の買い出しに三多摩へ
野菜の買い出しに三多摩へ  北関東の旅を終え、私は何年ぶりかで役所の机に向かって仕事をするようになった。役所での仕事、それは東京府庁の経営する学校や病院、試験場などの増改築や修繕工事などで、図面を書き、工事が始まると、現場を監督して歩くことで、その現場も私の担当は府庁から遠い三多摩の農村地帯が多かった。私は以前から交通費を浮かせるため、こうした現場まわりはいつも自転車で出かけたものだが、徴用から帰ってからもそのようにしていた。私の自転車は昭和十二年に十六円で買った中古車だったが、徴用に行っているあいだも四男の兄が大切... ...続きを見る

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2014/10/15 20:00
初の東京空襲
初の東京空襲  私が枯木山と荒海山の旅から帰ってすぐ、昭和十七年四月十八日に最初の東京空襲があった。戦勝に酔っていた人々にはえらいショックだった。私は山へ行って本当によかったと思った。こうした事態になると、もう山などとはいっていられなかったからである。 ...続きを見る

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2014/09/15 20:00
荒海山南壁登攀
荒海山南壁登攀 前回アップした「案内人なしでは登れぬ南会津の枯木山と荒海山 後編」の元となった原稿。 これも戦中の貴重な資料として残すことにする。 ...続きを見る

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2014/08/15 20:00
案内人なしでは登れぬ南会津の枯木山と荒海山 後編
案内人なしでは登れぬ南会津の枯木山と荒海山 後編  二日目の荒海山登山は行程が長いので、宿を午前二時起きして出立する。明るくなるまでに湯坂峠を越えてしまい、峠下からマス沢に沿って登る。途中に製炭事業地があり、そこまでは道もよかったが、その先は道がなくマス沢の源流を溯る。ここはものすごい悪場続きで、天に蓋をしたような、真っ暗な原始林のなかで見通しもきかず、幾度も冷汗を掻いた。 ...続きを見る

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2014/07/15 20:00
湯西川温泉と枯木嶽登攀
湯西川温泉と枯木嶽登攀 前回、「案内人なしでは登れぬ南会津の枯木山と荒海山 前編」でアップしたものは、末夫さんの本からの抜き書きで、ずいぶん簡単なものだったが、今回はその元となった生原稿を載せる。 判読不能で転記を断念したものの、部分部分を拾い読みしてみると、本の内容より数倍も面白い紀行文になっている。 それだけに転記できなかったことが残念である。 ...続きを見る

ガッツ(がんばれ!) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2014/06/15 20:00
案内人なしでは登れぬ南会津の枯木山と荒海山 前編
案内人なしでは登れぬ南会津の枯木山と荒海山 前編  枯木山と荒海(あらかい)山の旅に出たのは、徴用から帰ってすぐの昭和十七年四月十日だった。山麓の湯西川温泉にその日じゅうに着くため、朝暗いうちに家を出て東武の浅草雷門駅まで歩いた。この非常時に山登りに行くなどと人に後ろ指を指されないように、額には鉢巻きをし、徴用時代の古い作業服を着て、地下足袋ばきにゲートルを巻き、リュックサックは大きな風呂敷に包んで肩に背負って、どこかへ仕事にでも行くような姿で、人目を忍んでの出発だった。しかし、雷門駅に着いてみると、若い登山者の群れでいっぱいで、それほど気... ...続きを見る

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2014/05/15 20:00
昭和十七年
昭和十七年  昭和十七四月上旬、下北の旅を終えて一路東京へ戻る夜汽車のなかで、帰ったら久しぶりに北関東の山を思う存分旅してみようと考えていた。しかし、家に帰りつくとそれは甘い夢であった。軍の一員から一介の地方人に戻ってみると、戦時下の都会生活の厳しさは想像以上で、そんな暢気なことをいっている場合ではなかった。第一、食糧の不足と生活必需品の逼迫には吃驚した。 ...続きを見る

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2014/04/15 20:00
比企丘陵双輪行
比企丘陵双輪行 今回の内容は昭和15年5月のサイクリングで、東京上野から埼玉県西部まで遠征した日帰り紀行だが、原稿は前回以上に判読不能で、ずっと放置したままだった。 しかしこれも太平洋戦争前の貴重な記録であって、判読が無理でも載せることにした。 ...続きを見る

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2014/03/15 20:00
南阿武隈二日の旅
南阿武隈二日の旅 上図のように、たぶん戦後に書き起こしたらしい地図は残っているものの、以下の原稿は昭和15年に書かれた下書きしか残存していない。 これでは転記以前の問題で、判読不能に近いのである。 (日数をかければ何とかなるやも知れぬが、膨大な作業時間を想像するだけで気分が萎えてしまう) よって今回は、末夫さんが南阿武隈二日の旅 に出かけたアリバイが存在するのですよ、という感覚だけで載せる。 ...続きを見る

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2014/02/15 20:00
大間崎へ、下北西部要塞地帯への旅 後編
大間崎へ、下北西部要塞地帯への旅 後編 前回の「大間崎へ、下北西部要塞地帯への旅 前編」からの続き。 ...続きを見る

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2014/01/15 20:00
大間崎へ、下北西部要塞地帯への旅 前編
大間崎へ、下北西部要塞地帯への旅 前編 今回は少々長いので、前後編に分けて掲載。 ...続きを見る

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2013/12/15 20:00
秋の下北、尻屋崎の飢餓自転車旅行
秋の下北、尻屋崎の飢餓自転車旅行 文中に「腹が減って死にそうだ」とあり、なおかつタイトルの「飢餓」とは、たかが一日のことなのに、あまりにも大袈裟ではないかと思うのは飽食の今を生きる現代人の感覚であり、当時の食糧事情を鑑みれば仕方ないことなのだろうと想像する。 (下北なので「飢餓海峡」を意識したか) ...続きを見る

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2013/11/15 20:00
八幡平からの帰路、田代平で道に迷う
八幡平からの帰路、田代平で道に迷う 昭和十五年から八戸での足かけ三年間の飛行場づくりの間、末夫さんは仕事の合間を見つけては方々を歩き回った。 北の旅はどれもこれも苦難のつきまとう淋しい旅だったようだ。 今回は死に直面した末夫さんの、果てしない妄想にお付き合い願いたい。 ...続きを見る

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2013/10/15 20:00
八戸海岸の浜茄子と初恋
八戸海岸の浜茄子と初恋  昭和十七年の初めのころ、日本は戦勝に酔っていた。そして二月中旬、第一次戦勝祝賀会が開かれて、軍から私たちに菓子や酒などが振舞われた。世情にうとい私など、このまま日本が勝ち進むものと信じていた。しかし前年の暮、日本が開戦したちょうどその日、無敵を誇ったドイツ軍がモスクワ攻略に失敗し、ヒトラーは初めて退却を余儀なくされた日でもあった。軍はこれを知っていたはずだが私たちにはまったく知らされていなかった。三月十二日、第二次戦勝祝賀会が開かれたが、そのときには何の特配もなく、以後、こうした祝賀会は行... ...続きを見る

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2013/09/15 20:00
太平洋戦争勃発
太平洋戦争勃発  昭和十六年の四月の初め、米が配給制となり、大人一人一日二合三勺(約340グラム)となった。五月には煙草も一人一日一箱に制限された。煙草を吸わない私は何とも思わなかったが、米が自由に食べられなくなるのかと思うと信じられない気がした。しかし、軍ではいくらでも食べられたので、そんな不安もいつの間にか消えてしまった。けれども都会の生活がかなり窮迫しつつあることは家からの手紙でわかった。頼りにしていた二番目の兄には死なれ、生まれて初めて経験する米の配給制、生活必需品の不足、都会生活のしだいに高まる非... ...続きを見る

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2013/08/15 20:00
飛行場づくりと兄の死
飛行場づくりと兄の死 前回の「飛行場づくりに八戸へ」からの続き。 ...続きを見る

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2013/07/15 20:00
飛行場づくりに八戸へ
飛行場づくりに八戸へ  それまで秘密にされていた飛行場の建設地とは、太平洋に面した八戸北郊の馬淵(まべち)川と五戸(ごのへ)川に挟まれた広大なデルタの上で、東方には太平洋の波頭がかぎりなく広がっており、丘の上は荒涼とした草原で、その大自然の荒々しいたたずまいが私にはとてもうれしかった。その荒原の西のはずれに「弘前師団八戸出張所」と、看板を釣り下げたバラック建ての事務所と宿舎ができていた。私たちはそこに寝泊まりして飛行場建設の工事管理に従事したのである。 ...続きを見る

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2013/06/15 20:00
徴用で弘前へ
徴用で弘前へ 今回から末夫さんにとっての「戦中」となる。 昭和15年6月10日に徴用令書が届いた。 いわゆる赤紙である。 しかし職能上、任地は自由に指定できたので、末夫さんは迷わずに東北を選択した。 翌11日は身体検査、身上調書をとり、合格となると21日、青森県の弘前師団経理部勤務となった。 ...続きを見る

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2013/05/15 20:00
再度の挑戦、定義温泉と船形山縦走 後編
再度の挑戦、定義温泉と船形山縦走 後編 前回の「再度の挑戦、定義温泉と船形山縦走 前編」からの続き。 ...続きを見る

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2013/04/15 20:00
再度の挑戦、定義温泉と船形山縦走 前編
再度の挑戦、定義温泉と船形山縦走 前編  仙台の船形山(1,500メートル)も無名の名山で秘境の山だった。昨年(転記者注 昭和14年)は山形側より登り、途中で大嵐に遭った。(参照) 縦走こそできたが、山そのものはほとんど見ず、ひどい目に遭って帰ってきた。今年ももう一度行ってみようと、赤城山以来、山好きになった三男の兄と二人(参照)で六月に出かけた。 ...続きを見る

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2013/03/15 20:00
会津 博士山登山
会津 博士山登山 昭和15年5月の山行記。 ...続きを見る

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2013/02/15 20:00
集団買い出しと列車地獄物語
集団買い出しと列車地獄物語 膨大な原稿はあるものの、私の手元にはその半分の画像しかない。 画像も、ほぼ尽きた。 そこで、末夫さんの著書から抜き書きをしてみる。 今まではほぼ年代順にアップしてきたが、これからは順不同で進めて行こうと思う。 私は別の自分のブログも開設している関係で、空いた時間にぼちぼちやるしかないので、どうかお許し願いたい。 ...続きを見る

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2013/01/15 20:00
八溝山脈の静寂境 尺丈山へ
八溝山脈の静寂境 尺丈山へ 末夫さんの原稿が清書されていないので、今回も著書から抜き書きで済ませることにする。 言い訳になってしまうが、元原稿は読めないことはない。 それによって、内容の概略はわかる。 しかし転記するにも多くの箇所で判読に時間ばかり消費せざるを得ず、今となっては貴重な記録もここに発表(転記)できないのが残念だ。 ...続きを見る

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2012/12/21 20:50
安達太郎山縦走(第二次)
安達太郎山縦走(第二次)  安達太郎山へは子供の頃父が毎年夏休みに連れて行ってくれた旅行で家族みんなで登った記憶がある。岳温泉の立派な旅館だったように記憶している。ちょうどペギー葉山が歌う「南国土佐を後にして」が流行っていた。その旅館の卓球場(あの頃の旅館には必ず卓球場が併設されていたようだ)で旅館の同世代の娘とピンポンなんかをした思い出がある。可愛い娘だったのだろう、よく覚えている。翌朝登り始めた僕らはくろがね小屋へ向うそこの少年と一緒になった。小学生で学生服を着たその子はしっかりとした歩みでいつも僕らの先を歩いて... ...続きを見る

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2012/11/06 18:23
印旛郡サイクリング
印旛郡サイクリング このサイクリングは静かな印旛郡の丘陵を走るのと、その間に点在する考古学的は仏像や仏宇を探るに在る。 のんびりした家族的コースと云ひ得るで有ろう。 ...続きを見る

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2012/10/15 20:51
浅間高原 吾妻渓谷サイクリング
浅間高原 吾妻渓谷サイクリング  (昭和十四年)十月上旬、上野駅を自転車とともに夜行で出発。信越線の沓掛駅(中軽井沢駅)より浅間高原を縦走、三原の町から吾妻川の渓谷沿いに走り、矢倉で吾妻川と別れて右折する。その後、大戸、室田を経て高崎に出、列車で帰る。高原と渓谷を組み合わせたサイクリングで、走行約九十キロの夜行日帰りの旅だった。   ...続きを見る

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2012/09/14 21:52
黒川山 青梅街道サイクリング
黒川山 青梅街道サイクリング  国家の非常時のもと、徴用や先行きの不安で私にはやりきれない思いの日が続いた。こうした不安定な生活から逃れて、一時でも心を安らげるためには、やはり旅をするしかなかった。昭和十四年も自由な旅を加えると、かなり旅をした。自転車旅行と、鉄道を辞める間際に次兄がとってくれた家族パスによる汽車の旅、贅沢といえば贅沢だが、ほかに生きる術を知らない私にとって、旅は必要不可欠な栄養源だった。そうしたなかの主なものをつぎに記してみよう。   ...続きを見る

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2012/08/31 15:05
一ノ字山 留夫山 鼻曲山 剣ヶ峯縦走 松井田へ
一ノ字山 留夫山 鼻曲山 剣ヶ峯縦走 松井田へ 此のハイキングコースは上野を前夜の最終で出発するとよい。 軽井沢に着くと浅間や離山や此れから上らんとする一ノ字山の連峯がしきりとまねく。 先づ道を旧軽井沢に取る。 唐松の林の中を一直線に進むとすぐ旧軽井沢の町だ。 此こで草津軽鉄の踏切をこえて、峠町迄は仲々に苦しい上りで有る。 途中は紅葉(11月初旬が美しく、又、八ヶ岳、立科方面の展望が実によい。 ...続きを見る

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2012/07/15 04:19
船形山縦走
船形山縦走 今回は昭和14年8月の記録だが、下の原稿をご覧頂ければお分かりのように、3枚目あたりから判読不可能になってしまう。 それでも何とか「解読」をすると、それなりに興味深い記述であることがわかった。 それにしても…、である。 これを転記するとすれば、おそらく丸一日以上は必要になると、経験上、見当がつく。 よって、原稿はいつも通り載せるが、最後にまた末夫さんの著書から抜き書きをして、今回の記事とする。 ...続きを見る

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2012/06/27 05:32

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