テーマ:登山

四男の兄の見舞いに身重の妻と塩屋への旅 2

 もたげた旅心、平郊外の閼伽井岳へ  日立を出ると、これまでの汽車旅行で幾度も見慣れた常陸の海沿いを列車は走る。それは昔と少しも変わらない懐かしい風景だった。すると旅心がむくむくと頭をもたげて来た。昔の旅を思い、またいつ来られるかわからないと思うと、せっかくここまで出て来たのだから兄のところへは明日だっていいじゃないかと思い、…
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足尾から庚申山探訪

終戦前年の6月、新婚旅行で日光へ来た末夫さんだが、蜜月も関係なく、友人同伴の三人旅行にしてしまった。 前回の内容にも、「いくらなんでも若い男女が二人で歩ける時代ではなかった…」と書きながら、中禅寺湖畔では「湖畔には新婚者らしい若い二人連れをよく見かけた…」と綴り、若干の矛盾を露呈させている。 しかし、新婚旅行を口実に山旅をし…
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奥秩父 唐松尾山登山

    唐 松 尾 山   1995年12月6日 (水曜日)  前回と同じ中島川口の登山道入口に着いたのが午前五時少し前。まだ辺りは深い闇の中で、見上げれば満天の星と、時折疾る流星が今日の晴天を約束してくれているようだ。流星は突然あらぬ方角から現れ、そして一瞬に消滅してしまうので、あわてて「読み書き算盤!」と叫んでも、なか…
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笠取山登山 ~海まで138キロ~

   笠 取 山   1995年11月22日 (水曜日) 前日に崩れかけた天気もやや持ち直し、雲が多いものの雨の心配はなさそうだ。 午前5時、自宅を出発。 予定では雲取山に登ることにしていたが、青梅街道から後山林道に入ってわずかなところで通行止め、仕方なくUターンする。 ここに車を停めて林道歩きをしてもいいの…
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昭和十八年の山旅と、買い出しのことなど

 この年(転記者注、昭和18年)私の行った主な旅は、一月の阿武隈のほか、四月には猪苗代湖東部の山の旅で、東北本線郡山駅より八幡岳(1102メートル)、会津布引山(1081メートル)に登り、茨城街道を江花(えはな)から東北本線須賀川駅に出た二泊三日の旅では、米八升(十二キロ)入手した。六月には安達太良山麓を一周、赤城平(1050メート…
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役所の若い職員を連れて秩父の三国山鍛錬登山

 こんな世情になっても、日本が負けるなどとはまったく思いもしなかったし、少しでも体を鍛えておいて、いざというときにはお役に立ちたいと思っていた。十一月(昭和17年)の初め、ちょっとしたきっかけで、また三日ばかり心身鍛錬を目的とした山旅をすることになった。それは来年兵隊検査を受ける若い職員たちから、 「少し体を鍛えておきたいから山へ連れ…
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塩原の日留賀岳に登る

 ミッドウェーの敗戦で日本が重大な岐路に立っていたこの時期、そんなことはまったく知らない私は旅への思い抑えがたく、その年の八月(昭和17年)、奥塩原の日留賀(ひるが)岳(1849メートル)登山に出かけた。この山は徴用に行くまえの下調査で、地元の人たちから信仰の山として崇められ、道のあることがわかっていた。そろそろ休みもとりにくくなっ…
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八幡平からの帰路、田代平で道に迷う

昭和十五年から八戸での足かけ三年間の飛行場づくりの間、末夫さんは仕事の合間を見つけては方々を歩き回った。 北の旅はどれもこれも苦難のつきまとう淋しい旅だったようだ。 今回は死に直面した末夫さんの、果てしない妄想にお付き合い願いたい。  私が八戸へ行って間もない昭和十五年の秋、青森県の七戸町の西方に立つ八幡岳(1020メ…
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再度の挑戦、定義温泉と船形山縦走 後編

前回の「再度の挑戦、定義温泉と船形山縦走 前編」からの続き。  さて、ふたたび船形山へ登る。昨年(参照)は頂上から嵐のなかを大倉川の谷沿いに駆け下って見物どころではなかったが、今日は快晴の下を峰通りの船形林道を登るのだ。温泉を出て湯川を渡り、本峰より下りてくる船形林道の尾根にかかる。初め船形連峰の後白髪(うしろしらひげ)山(1…
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会津 博士山登山

昭和15年5月の山行記。  私が博士山の存在を知ったのは小学六年生のときだ。勉強はできなかったが地理が好きで、とくに地理付図だけはよく見たものだ。その付図に奇妙な名称の山があった。その山は会津地方でただひとつ火山記号がついていて、ピョコンと突出している独立峰だった。いかにも秘境らしい会津の辺境にあったから、大きな地図でその…
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三ツ峠 本社ヶ丸縦走ハイキング

あまりにも有名な三ツ峠山は、関東在住の山好きならば必ず、一度は登ったことがあるだろう。 平地からも、林立する電波塔などの鉄塔群が目印だから、登らずとも、あれが三ツ峠山だとすぐに分かる。 有名なのはもちろん、岩登りのトレーニングの山であり、富士山展望の山であり、そしてアマチュアカメラマンたちが三脚を林立させるからであって、好天のシ…
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再訪 浅間山登山

一年前の昭和七年七月に登って以来の、末夫さんの浅間山登山である。 三月にはマグニチュード8,1の三陸地方大地震があり、三千人以上の犠牲者を出した大災害があったが、著書である「汽車が好き、山は友だち」(参照 1)(参照 2)でも触れていないので、おそらく情報が不足していたのであろうと想像する。 もっとも、登山とともに汽車旅行が好き…
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表吾妻日帰り縦走

このハイキングコースは前回とほとんど同様で、硫黄製造所跡より幕ノ場へ下る間だけが異なる。 そこで硫黄製造所跡までは前回の記事を参照してもらって、それより後のコースを記す事にしよう。 今回は、二年後に訪れた昭和13年10月2日の夜行日帰り記録。 では例によって、末夫さんの当時の記録を転記する。 (読みにくい部分は平易な表現に変…
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丹沢 熊木沢遡行

管理画面にログインしてみれば、今月もまた更新が滞っていることに気付いた。 さすがにもう言い訳はしない。 申し訳ない、と思うだけである。 要するに、開き直り…。 m(_ _)m さて、今回は昭和十三年六月の記録である。 丹沢主脈縦走から二年が経っている。 原稿の転記をするには時間がないので、末夫さ…
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木曽御岳縦走

何年振りかの大雪の日、末夫さんは2.26事件で多数の重臣が殺害されて戒厳令まで布かれたことで、ただならぬ騒ぎに世の終わりを感じ、日本も戦場になるかと恐怖した。 翌三月には軍の傀儡とまで揶揄された広田内閣が誕生。 七月には東京、横浜、川崎で防空演習が始まった。 その八月の、末夫さんの山行記録を、著書の中から載せる。 …
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吾妻山群縦走

今回は昭和十一年六月の記録である。 この年は2.26事件や、直前には阿部定事件もあったのだが、末夫さんは淡々と山行記録を綴っているだけだ。 毎度、同じようなガイド調の文章が続くばかりなので、生原稿の転記はせず、著書から抜粋してみることにする。    山形・福島の火山群、東吾妻山縦走  吾妻山は…
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上信国境ハイキング

 街道歩きや峠道は末夫さんにとっては楽しみなものだったらしくこの十石峠や会津の例幣使街道、境ノ明神峠などよく話してくれたものです。今回の正丸峠を越えて十石峠街道、武州街道、佐久甲州街道、北国街道などは今走っても面白い街道だと思われる。山も天丸山、諏訪山、三国山など夏にはとてもいいコースとなる。飛行機事故の御巣鷹の尾根の近くである。ま…
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馬頭刈尾根縦走

 昭和13年の五日市周辺の山は静かだったのだろうと記述を読んで想像するのだが、東京に住んでいらっしゃる山好きの人にはいいコースの山だと思う。ことに中高年のハイキングにお孫さんを連れて歩くのには最適だろう。冬こそ子供連れでは往生かもしれないが、これからの桜の季節にはいい思い出になること請け合いである。末夫さんは晩年歩けなくなってから車で行…
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丹沢主脈縦走

今回は私にも懐かしい丹沢なので、楽しく綴ろう。 昭和十一年五月の山行だ。  丹沢山塊は私の好きな山だったが、国鉄の利用だけでは不便で、その情報も乏しく西部丹沢は未開の山として安心して登れなかった。初めて登ったのが昭和十一年五月で、相模線橋本駅より道志街道を夜通し歩き、途中、長野の集落で半泊し、翌早朝出発。焼山、姫…
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浅間山登山

ご承知の通り、浅間山は深田久弥が選んだ日本百名山のひとつである。 百名山ブームは中高年を中心として今も続いている。 ある程度の基準を設けて選定した百峰ではあるが、これはあくまで深田の主観に基づいて決めた山々で、個人によってその価値基準や判断は違う。 しかし大多数の人は深田の百峰を絶対のバイブルとして、他に数多ある山には目も…
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都県境を歩く (川苔山・蕎麦粒山)

1996年2月14日 (水曜日) 日原街道から車を川乗林道へ乗り入れ、細倉橋の手前に駐車、ここが登山口となる。 装備を整えて8時出発。 この時期にしては暖かいのがうれしい。 なにしろ今月の5日には五日市の払沢の滝が完全氷結したというほどの寒い冬で、家での灯油使用量も増えている。 今回も寒さ対策は万全、肌着もウール、セー…
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