テーマ:サイクリング

比企丘陵双輪行

今回の内容は昭和15年5月のサイクリングで、東京上野から埼玉県西部まで遠征した日帰り紀行だが、原稿は前回以上に判読不能で、ずっと放置したままだった。 しかしこれも太平洋戦争前の貴重な記録であって、判読が無理でも載せることにした。 私に比企丘陵についての知識はほとんどなく、場所も曖昧である。 たぶん国営の武蔵丘陵森林公園や吉…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

秋の下北、尻屋崎の飢餓自転車旅行

文中に「腹が減って死にそうだ」とあり、なおかつタイトルの「飢餓」とは、たかが一日のことなのに、あまりにも大袈裟ではないかと思うのは飽食の今を生きる現代人の感覚であり、当時の食糧事情を鑑みれば仕方ないことなのだろうと想像する。 (下北なので「飢餓海峡」を意識したか) それにしても末夫さんの腹はよく減るなあ、と感心しながら転記し…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

印旛郡サイクリング

このサイクリングは静かな印旛郡の丘陵を走るのと、その間に点在する考古学的は仏像や仏宇を探るに在る。 のんびりした家族的コースと云ひ得るで有ろう。 錦糸堀を9時頃に出発するとよい。 広く大きい千葉街道を走るので有る。 城東電車に沿って町の中を走り、しばらくして城東電車と別れるとすぐに荒川…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

浅間高原 吾妻渓谷サイクリング

 (昭和十四年)十月上旬、上野駅を自転車とともに夜行で出発。信越線の沓掛駅(中軽井沢駅)より浅間高原を縦走、三原の町から吾妻川の渓谷沿いに走り、矢倉で吾妻川と別れて右折する。その後、大戸、室田を経て高崎に出、列車で帰る。高原と渓谷を組み合わせたサイクリングで、走行約九十キロの夜行日帰りの旅だった。  < 草思社発…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

黒川山 青梅街道サイクリング

 国家の非常時のもと、徴用や先行きの不安で私にはやりきれない思いの日が続いた。こうした不安定な生活から逃れて、一時でも心を安らげるためには、やはり旅をするしかなかった。昭和十四年も自由な旅を加えると、かなり旅をした。自転車旅行と、鉄道を辞める間際に次兄がとってくれた家族パスによる汽車の旅、贅沢といえば贅沢だが、ほかに生きる術を知らな…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

昭和十四年

 旅の協力者・父の死  昭和十三年も暮れ、来年は少しはよくなるかと期待をかけたが、昭和十四(一九三九)年になると、戦時色はますます濃くなった。正月早々、近衛内閣が総辞職して平沼内閣が成立し、近衛さんは無任所相として協力する形になった。一方、政府部内や学者グループに進歩分子がおり、これらを粛清する事件があったり、二月には海軍の海…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

境の明神峠 久慈川渓谷サイクリング

 このブログを手伝ってくれている(ほとんど彼の功績)O氏ともう5年も前になるかほとんどこのコースを彼の車で走ったことがあった。阿武隈、八溝山塊の悠久とした風情は昭和14年というわけには行かないがそれでも想像に難くはなかった。末夫さんはこの「境の明神峠」という名前をよく口にしていたようだ。関宿とか言葉の響きが好きなのだろうかと思っ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

顔振峠 高山不動 黒川鉱泉

 この頃の所沢や川越、飯能、吾野がずいぶんと遠いところだったように感じられる。70年ほど前なのだからそうだとしてもこの時代の自転車は遠乗りでサイクリングではないと僕は思う。もっともその頃の末夫さんは30代の元気盛りで今時の人間とは違っているとしても、僕は真似する気持にはなれない。車で走るのも大変なのだろうと感じてしまう。ここに出てくる武…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

西下総サイクリング

 浜街道は水戸街道とも云ったようで今では常磐線とほぼ平行して水戸、平、へと通じている。昭和14年頃の小金辺りがどんなものだったのか今では想像するのも難しいがこの浜街道の周囲はどことなく昔の面影が強く残っていて終戦の年にはずいぶんと買出しに出かけたところだと聞いたことがある。また布施辺りは今から20年ばかり前に走ったことがあったがその…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

常野丘陵サイクリング

此のサイクリングは常磐線友部駅より笠間町をへて仏ノ山峠を越え茂木町に至り、那珂川畔を走って大宮、太田、小戸と出るコースで、途中の丘陵的風景が実に良く、又、名勝史蹟に豊んで居るので、此れから3、4月頃のサイクリングには実に良い。 気の合った同士2・3人でするとよい。 上野を一番の列車に乗ると、友部には8時40分…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

回想 富士山麓 身延山サイクリング

前回は末夫さん若かりし20代前半に訪れた時のものだったが、今回は彼の著書「汽車が好き、山は友だち」を上梓するにあたって、当時(昭和十三年)を回想した文章である。 私も三年前に、末夫さんと同じコースを辿ったことがある。 末夫さんは二輪だったが、私は四輪で、もちろん日帰りだ。 今回はその三年前の写真を散りばめながら進めることにしよ…
トラックバック:0
コメント:1

続きを読むread more

富士山麓 身延山サイクリング

昭和十三年、世情は措いて、末夫さんには充実した年だった。 今回は中古の実用自転車での、夜行二日のサイクリングを紹介する。 季節は11月後半、紅葉の終わりかける時期だった。 少々長い転記だが、最後まで読んで頂ければ幸いである。 新宿を最終で出発すると、大月には翌朝の3時頃に着くで有ろう。 吉田への…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

筑波山サイクリング

 143年も戻ると東京は江戸であって今でこそマンションや道が縦横にあるのだが、その頃の東京の町々は現代人の想像を絶する寂しさだったと物の本で読んだことがある。代々木や千束などは今では僕の住む村の近くの津南町の景色でもあるのだろう。70年前のこれらのところが作者が何回となく素晴らしい、壮大なという表現を使うのに価する姿だったのだろうと思う…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

成田山サイクリング

末夫さんの原稿を転記しながら感じたのだが、今回は楽しい作業だった。 それは現在の発展ぶりを知っているからで、末夫さんが実用自転車で走った昭和十三年当時は、こんなにも長閑な場所だったのかと、思わずため息が漏れた。 今回は、末夫さんの著書「汽車が好き、山は友だち」 (参照1) (参照2) にも載っていない、自転車での日帰り小旅行だ。…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

江戸川堤サイクリング

 昭和も13年ごろになると末夫さんの家族に鉄道職員がひとりしかいなくなり、それまで使っていた家族パスがずっと少なくなり自転車での旅が多くなる。今回の自転車旅行で訪れる町に「関宿」がありよくこの名前を聞いたものだ。ことに「潮来の伊太郎」の唄がはやった頃、歌詞にある「ここは関宿 大利根川の~」というフレーズをよく口ずさんでいた。私にしてもこ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

三里塚サイクリング

 昭和13年の成田、三里塚と現代のそれと比べるべくも無いだろうが、作者が文中によく車上の人といっている車が自転車というのも時代だなーと感ずる。それでもこの地は作者である末夫さんがよく汽車で訪れ歩いたところでそれを自転車で自由に走れ回るのは確実に旅は違ったものになっていたはずである。目をつぶって高速も特急電車も捨てて少し想像してみると三里…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

南埼玉サイクリング

 平成の現代になっては川越や飯能の辺りを自転車で走るということも無くなったろうけれど、この時代に自転車で走るというのはめずらしいことだったのだろう。また東京のこの近くにこれだけの歴史的な遺跡があったり鄙びた風景が続いたとは考えられないが、80年も前の南埼玉はそんなものだった。池波正太郎氏の時代小説を読んでいるとそれからまた80年を前に戻…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大洗 鹿島灘 鹿島 水郷サイクリング

此のコースは一年中を通じて何日でも良いで有ろう。 主として海岸沿ひで有るから夏もそう暑くなく、海岸は黒潮(暖流)躍る太平洋で有るため、冬も非常に暖かで有る。 水戸駅を出て一寸常磐線に沿って進み、ガードでこれを潜って那珂湊へ到る道を取る。 道は暫くして大那珂川の畔に出て、満々として水をたゝえる美しい那珂川沿ひに進むので、…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

浜街道日帰りサイクリング

此のコースは浜街道の道が余り良くないのが欠点であるが、途中に大小の湖沼や河川が有り、且つ丘陵の中を行くので仲々景色がよい。 日帰りは一寸強行だが、土曜から一日半の旅としてはよいコースで有る。 こうして前回と同じコースを、今回の末夫さんは自転車で走る。 以下に本文を転記するが、その内容もほぼ前回と同じであ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

昭和十二年

今回の記事で記念すべき100回目のエントリーになる(たぶん)のだが、記念といっても、花を飾ったりケーキにローソクを立てたり、Mロードで提灯行列をしたりなどの特別な記念行事はせず、いつも通り淡々と進めていく。 さて、時代は戦前の昭和で停滞したまま、当ブログは遅々として進まない。 それもこれも、すべて忙しさを口実にできるのだが、…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

吉見百穴サイクリング

「第二回自転車ハイク」とは大袈裟だが、それもそのはず、末夫さんはこの年の初めに念願の自転車を買い、有頂天の極みだったのである。 今でいえばマイカー購入といったところか。 わざわざ鴻巣まで北上する大回りも、その表れだろう。 途中、パンクした位置まで地図に書き込んでいる。 そして日付に注目したい。 4月29日は天長…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

熊谷 太田 館林 古河サイクリング

板橋から大宮、上尾、熊谷。それに妻沼から太田、館林、古河、栗橋、杉戸、粕壁、北千住。昔、北千住ではやらない喫茶店を13年ほどやっていたことがあってよくバイクで千住から常磐線方面、会津へと走った。車と違って時間が自分のもののように感じた早さだった。今回の末夫さんのサイクリングにはただただ驚くのだがその距離を思うと記述が早いのもうなずける…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大宮 岩槻 粕壁サイクリング

 大宮や岩槻にはたくさんの友人が住んでいてその地区の70年前がどんなだったかを教えてやろうと思う。もっとも板橋や千住辺りも田んぼの中だったというのでは昭和12年の東京や近郊は今と同じように区別がつかない情況なのだろう。末夫さんは当時としては安くなかった自転車を中古で購入して得意満面で走っていたようだ。もっとも自転車は実用自転車で今では築…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more