栗駒山縦走 鬼首火山群へ 2



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 末夫さんの「汽車が好き、山は友だち」の中でもこの鬼首火山群への旅はとても興味あるところです。現代の鬼首はまったく違っていることでしょうが私はこんな所には行きたくはありません。よく無事であったと思うものです。現在は地熱発電などが行なわれているようですが、ここなら今時の病気に悩まされている方が療養に行けばきっとよくなるように感じます。湯浜温泉の死にそうな金魚が生き返るというところなぞ誠に現代のサナトリュウムではないでしょうか。


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前回の「栗駒山縦走 鬼首火山群へ 1」からの続き。
今回も写真原稿は転記せず、画像下部に、本から抜き出した文章を載せる。

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 栗駒山頂の展望と大湯温泉での一泊

 さて翌日はいよいよ栗駒本山へ登るのだ。朝七時に出発する。道は二つあるが、駒形根祠にお詣りしてから直接登る道をとる。名残原をすぎた地点から右へ小道をとり、行く手の尾根に登る。ここを越えた大絶壁の下に祠がある。ささやかなものだが参拝をすませる。本山へはいま越えた尾根の道を向かって左に進む。ほどなく栗駒本山の頂きだ(一六八二メートル)。山頂には三角点の測量用の櫓があって、そこからの大展望は実にみごとだった。ここにも頂きには大日神社の小祠があった。東北方に北上川流域の平野を隔てて北上山脈が見え、ひときわ高いのが五葉山と早池峰山である。その上に白く光る太平洋があり、北方には遠く岩手山を望む。近くに豪壮な焼石岳、鳥海山は西北方に聳え、その後ろに日本海の海浪を見る。月山も広大な山頂を浮かせ、蔵王から船形山南方に連なり、真に一望千里の大観だった。

 山頂の快をつくした後、帰りは別道を通って三途川を経て宿に戻る。途中、這松の斜面には甘酸っぱい山葡萄が鈴なりになっていて、口が真っ赤になるまでほおばった。栗駒探勝を終え、鬼首の火山群へ行くには山麓の大湯温泉で一泊しなければならない。二時ごろ昼飯を食べ終え、須川温泉に別れを惜しみつつ宿を出た。

 道は栗駒山の明るい熊笹帯を緩やかに下ったり登ったりして行く。しばらくして眼下に須川湖を望む。尾根を越すと熊笹の原のなかの湖に着く。湖畔にはちょっとした休み茶屋があってボート遊びができる。森閑とした山奥の湖には神々しさが漂う。ここで明るい高原と別れ、深い原始林に入る。ニンゴー(仁郷)沢を渡り、もう一つ尾根を越して大きな皆瀬川の谷へ下る。川の淵にひっそりと建つ大湯温泉はすぐである。大きな皆瀬川の渓谷の崖には無数の噴気孔があって、白い煙を上げながら湯を噴き出している。その豊富な温泉量に驚かされる。すぐれた温泉場だが、あまりにも僻遠な山中にあるせいか、浴客は私のほかにはただ一人しかいなかった。宿は山小屋風の造りだが、須川温泉よりは上等にできていた。宿の主人は十文字町の人で、孫を連れて遊ばせながら夫婦できりもりをしていた。人の好さそうな老夫婦だった。浴槽は大きく、湯は透明でかなりの高温である。ここの湯は何に効くのかわからないが、こうした大自然のなかで湯に浸っていれば、たいていの病気は治ってしまうだろう。その夜は囲炉裏を囲み、ランプの下でいろいろ山の話を聞いた。川の音とランプの光、ここにいると、遠い昔の平和だったころの夢を見ているような錯覚に陥った。


 栗駒山西麓の雄大な原始林を楽しむ

 翌日は栗駒西麓の大原始林地帯を縦走し、約二十キロ、南方に歩く。この間、人家まったくなし。朝六時に宿を出る。宿の老夫婦が無人境の縦走を心配してその登り口まで見送ってくれた。小道はすぐ昼なお暗い大森林へ入る。あまりの濃密さに驚く。小道は小さな尾根と沢を登ったり下ったり渡ったりして進む。密林は一歩一歩深さを増す。足元の熊笹が小道を覆い隠し、幾度も心細い思いをした。小道はさらに濃くなる原始林を潜り、七六五メートルの三角点のある峰を越す。これを下ると田代平の湿原に出る。深い原始林のなかで雑草をわけて湿原を進むと、やがて田代平に突き当たる。沢を渡り、さらに進むと三本の杉の巨木があって、ほどなく田代沼に出る。小さな沼だが水面は水草で覆われて底が見えない。千古不斧の大密林があたりを埋め尽くし、夜のように暗く静かだ。ここには直径五、六センチの田螺がいた。大湯の宿でも田螺が出たが、とてもうまかった。一つ獲って焚火で焼き、塩をふりかけて食べる。私はそんなことをしながら一時間ほど休み、昼飯をとった。本当に仙人にでもなったような気がする。腹でもこわしてはいけないので一つでやめたが、田螺はそれこそ山の珍味だった。

 小道はここからさらに深い原始林を潜って、宮城、秋田の県境尾根を越える。左手から一迫(いちはさま)川源流の赤沢が流れている。赤沢の左手に沿って道は下りになる。ここでも川の淵に温泉が湧き出ていて、上滝という名のいい滝が落ちていた。さらに下ると、やがて中滝があり、湯浜温泉があった。ここでやっと人の顔を見る。大湯温泉より途中休み休み、ゆっくり見物して湯浜温泉まで約半日かけた。大森林の連続する豪快な旅だった。二抱えも三抱えもある橅の巨木が林立し、人気の絶えた原始の世界は恐ろしさが先に立ったが、見なれない秘境だった。

 湯浜の宿は三棟あった。この温泉はちょっとおもしろい湯で、硫黄泉だが透明で、湯のなかに白い糸屑のような湯花が浮いていて、死にかけた魚をこのなかに入れると生き返るという。この仙境のような温泉に浸っていれば、たしかに病気は治るだろう。宿の主人はこのあたりの測量を手伝った人で、その当時の話を聞くのもおもしろい。一晩泊まりたかったが、旅程が長くなるし、徴用のことも心配なので、もう少し先の湯ノ倉温泉まで出ることにした。二時間休み、腹ごしらえをすませた三時、宿を出発した。

 道はあいかわらず原始林のなかを行く。初め一迫川の左岸に沿って下る。川は大きく、その渓谷には山肌から滝を落として、すばらしい眺めだ。大小の滝がきわめて多く、歩いていても退屈はしない。道はやがて川とわかれ、右へ小さな尾根を越すと、ふたたび谷へ降りる。そこに白糸滝という華麗な大滝を見る。ここで道は二手にわかれ、元に戻るような格好で左への小さな山を越すと、また一迫川の谷に出る。その地点に湯ノ倉温泉があった。湯ノ倉温泉も深い密林に覆われた静寂境だった。建物は一軒しかなく、かなり大きな造りである。山が深いせいか、泊まり客は少ない。川の流れを眺めながら、大きな浴槽に一人だけで入る心地は格別だ。窓に迫る山の斜面は地肌ひとつ見えず、べったりと生い茂った緑に染まり、いかに原始林が深いかを物語っていた。夜は淡いランプの光の下で、素朴でめずらしい山菜料理に舌鼓を打ち、英気を養った。いよいよ明日は鬼首火山群の見学だ。栗駒山より虚空蔵山を経て湯浜経由で直接湯ノ倉へ来れば、日程が一日倹約できるが、ここまで来て栗駒西麓の偉大な原始林を見ない手はない。


 鬼首のハイライト 荒湯と片山地獄

 鬼首までの道のりが少しあるので翌日の朝は五時に宿を出た。前日の白糸滝まで戻り、花山温泉への道をまっすぐ進む。やがて削沢(さくざわ)に突き当たって道が二分するが、沢を渡らず、花山への道とわかれて右方向に山道を登る。するとヤケ流れという峠を越える。このあたりは道が悪く、ブヨの大群に襲われることがあるから手拭いで顔をおおって駆け足で峠を越える。峠を越えると昔の鉱山事務所の廃屋があった。何もないのに人が一人住んでいた。それから道はさらにだらだら下って鎌内沢の河原に下り、これまで執拗に付き纏っていた原始林が切れて明るくなる。河原を下って行くと、やがて岩入(がにう)の部落に着く。久しぶりに見る村落のたたずまいはひとしお懐かしさをさそったが、東北らしい貧しさも感じられた。岩入から荒雄川の明るく広々とした河原を上流に向かって歩く。右手には鬼首火山群の中心、荒雄岳(九八四メートル)が、重しのように聳えていた。営林署の貯木場に行き当たり、索道終点の部落がある。ここは各硫黄鉱山に燃料の薪を送る基地らしい。そこを出たところで道が二手にわかれるが、これを右へ入る。荒れ果てた山間の道をちょっと苦しい登坂を続けると、やがて荒湯温泉に出る。荒湯温泉が鬼首火山の入口で、これから荒涼たる火山岩地帯となる。

 荒湯温泉の建物は茅葺きだが、土蔵造りのように洒落ていた。しかし、すでに空家になっていた。いい家なのに訪れる人もなく放置されたままの状態だった。温泉は屋外にあるのだが、屋根もなく半壊していた。入る人もいないのに湯だけはこんこんと溢れている。見渡すかぎり人の気配はなく、赤茶けた土と岩石が広がる寂寞とした死の世界のような空気に包まれていた。すぐ傍を川が流れていたが、手も入れられないほど熱かった。すべてが硫黄一色だった。この湯沢を二十メートルも登ると小さな鞍部に出る。ここがまた火花を散らしたような熱水の噴出口で、傍に立っているだけで亜硫酸ガスで窒息しそうになる。このすぐ下が荒湯硫黄鉱山で、真っ白な焼け石や灰が一面に広がっているだけで生物のかけらも見られない。この付近も大小の熱泥池や湯沼が各所に散在している。不気味な泥状溶岩がボコボコと鈍い音をたてて噴き上げ、湯沼は熱水をみなぎらせて凄惨な熱地獄を現出している。地面が柔らかいから、うっかりすると引き摺りこまれそうになる。あたりを覆う毒ガスの白い煙が人の接近を拒んでいるかのようだった。見物客など一人もいない。鉱山に働く人でもいなかったら、とても恐ろしくて来られたものではない。私は帰りに鉱山に寄って硫黄製造を見学した。そこで働く人は私が一人で来たといったらよく無事だったと驚いていた。

 索道はここからさらに峠を越し、隣の片山鉱山へと向かう。私は片山への道をとった。峠は見晴らしのよい草原で、眼下の大深沢に片山鉱山の全容が見えた。この尾根を辿って高日向山へ登るのもよい。ここへ登ると鬼首火山群の全貌がよくわかる。山上から火山の生いたちを想像してみる。この山は大昔、富士山のような山だったと思われる。荒雄岳の噴出で中央部が吹っ飛び、その周囲に半円形の火口原が残ったのだろう。そこに荒雄岳を取り巻く荒雄川が流れこみ、やがて集落が作られた。阿蘇山を小さくしたような感じだ。噴火当時の火山活動の名残りが荒雄岳の東南側にまだ残っており、大昔の火口底を物語っている。有名な間欠泉は荒雄岳の南方足下にある。そんな素人の勝手な想像をしていると時を忘れた。

 峠を下って片山鉱山へと向かう。片山鉱山は荒湯よりいっそう激烈なところだ。峠を下ると火山灰で埋まった谷に出る。周囲の情景は木にしても草にしても凄惨な感じがする。ここを土地の人は寺屋敷と呼ぶ。まるで地獄の入口のようなところだ。この近くに閻魔王によく似た巨岩がある。この傍から硫黄運搬用のトロッコが敷設されていて、その線路を歩く。やがて右手の沢の奥に奥ノ院がある。トロ道から十分ほどの爆裂火口のようなところで、焼け石と灰に埋まったなか、鉄をも溶かすと思われる湯沼がごうごうたる音をたてて跳ねくり返っていた。すぐ傍に熱泥池(泥火山)があり、灰黒色の泥状溶岩が餡を煮立てているようにボコン、ボコンと一メートル近くも跳ね上がっている。硫黄の噴気孔が各所にあり、足元が軟らかいから安心して歩けない。岩に触ると熱くて不気味だ。こんなところがほうぼうにあり、鬼首のなかでももっとも凄絶をきわめたところだった。恐ろしくてこれ以上奥には行けずに引き返す。

 ふたたびトロ道に戻って、すぐ硫黄鉱山についた。これだけ迫力のあるところなのに見物に来る人はまったくいない。鉱山で働く人たち以外、人の顔を見ない。ここでも鉱山の人は私が一人で来たと聞くと驚いていた。そしてこの奥は危険だから一人で行ってはいけないと固く止められた。頼むと工場の人が案内してくれるそうだ。近くに真っ赤な水をたたえた血ノ池地獄、八幡地獄、大剣小剣などの地獄池があるが、血ノ池を除いて白煙の高く噴き上げるのが見えるから、案内してもらわなくとも焼け石のなかを煙目当てに歩けば簡単に行けるはずだが、事故でもあっては人に迷惑をかける。私も怖じ気づいて行くのをやめた。このほかにもこうした奇景は各所にあるが、だいたいここと同じようなものらしい。私は疲れてしまい、とても全部は見て歩けなかった。それでもとくに凄いところは時間を忘れて見てしまい、慌てて歩き出すといった塩梅だった。鉱山で一休みしたため、だいぶ時間を食ってしまったので、急いで有名な間欠泉を見ることにした。

 道はこの鉱山から行く手の片山峠を越える。硫黄精錬所を出て三途の川といわれる大深沢を渡る。熱泥や熱湯の穴のそばを危うく抜けて進むと、急激に峠へ登るようになり、峠頂から足下の赤沢の谷へ下る。下り切ったところで沢を渡り、沢沿いに上流へと歩くと、ほどなく雌釜雄釜の間欠泉に着く。「天然記念物」の標柱が建っているからすぐわかる。雌釜は川の淵にあり、雄釜はちょっと上にある。見ただけではその孔の部分に湯気が上がっているだけだが、二十分ぐらい待っていると、突然、三メートルも湯を噴き上げる。それはみごとなものだ。この間欠泉を集める赤沢は綺麗な沢だが、流水はとても熱かった。その上流に巍然として荒雄岳が聳えていた。見物をすませてから往路を戻り、赤沢の谷を下りる。途中で吹上温泉がある。ここも間欠泉だが、雌釜雄釜よりずっと格が落ちる。吹上温泉には旅館もあり、観光客の姿がちらほら目についた。

 鬼首火山群の真のすばらしさは、本来この間欠泉の奥にある荒湯や片山地獄にあると思うが、多くの観光客はそこまで行かずに吹上で止まってしまい、雌釜雄釜さえほとんどの人は見に行かないのは惜しいと思う。吹上温泉に着いて、長かった無人境の旅もやっと終えた。一から十まで凄い旅だった。

 翌日は仙台の船形山へ最後の旅を続けるため、吹上から山を下って橋本の部落よりバスで鳴子町へ出る。奥羽線で東根駅に行き東根温泉に一泊した。

 < 草思社発行 長谷川末夫著 「汽車が好き、山は友だち」より抜粋 >

このブログでは一回の記事に二万文字までの制限があり、やむを得ず「船形山」は次回にアップする。
好事魔多し、内容は、悪天候のため、末夫さんが死ぬ思いを体験した最悪の登山になる。

※ 転記 太田



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