堅気に親切だった猿島のやくざたち


 そのころの猿島郡は、警察力の手薄な無法地帯の観が強かった。というのもやくざの群れがここに集まって来て、各所で賭場を開いて荒稼ぎをしているらしかったからだ。朝になると、その賭場帰りの若いやくざが五人、六人と群れをなして帰って来るのによく出会った。彼らの着ているものは派手で、リボンを巻きつけたカンカン帽をかぶり、ダボシャツの上に背広の上衣をひっかけ、腹巻を覗かせ、安もののニッカズボンにつっかけ草履、おまけに与太った足取りで大道狭しと歩いて来る。どこから見てもまともな人間とは思えなかった。

 私は彼らに出会うと因縁をつけられ、落とし前でも取られるのではないかと、びくびくしながらそっと彼らの脇をすり抜けるのだが、彼らはけっして堅気の私たちに手を出すようなことはしなかった。それどころか、外見に似合わず意外に親切で、にこにこ笑いながら「ブツ(食糧)は集まったかい」などと声をかけてきて、「ここよりはあっちのほうがいいよ」などと教えてくれることもあった。そうして彼らに教えられたところへ行ってみると、本当にいつも景気よく物が手に入ったものだった。

 ところで、私はこの八俣村でやくざの争いに二回ほど巻きこまれたことがある。その一つは、麦の穂の熟れる六月ごろだったろうか。私の買い出し仲間もだいぶ増え、もう少し買い出しの範囲を広げようと、それまでの買い出し根拠地を素通りして東へと、ずっと奥のほうへと歩いて行った。しかし、新しいところはいくら歩いても、なかなか物が手に入らなかった。

 昼近くなって、引き返そうと、集合地点へ戻ろうとしたのだが、田舎の細い畦道をあっちこっちと物を求めて歩いているうちに、方角がわからなくなってしまい、ふと見ると、林の向こうに鬼怒川が流れている。そこはもう結城郡の東のはずれで、私の根拠地を遠く離れてしまっていた。川の向こう側にはすぐ常総鉄道が走っている。鉄道が近いということは、職業的な闇屋が入りこんでいるはずで、こういうところでは、農家は取り締まりを恐れてわれわれのような素人の買い出しを相手にしないことが多かった。

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 そんなわけでその日は午後もだいぶ遅くまで歩きまわったのに麦一粒、手に入れることができなかった。それにこんなところまで来てしまうと、帰りの集合場所へ、とても時間までには帰れそうもなかった。第一、物が全然手に入らないのだから、帰りたくても帰れないわけだ。

 やむを得ず帰るのを諦め、今夜はこのあたりの農家に一晩泊めてもらって明日またゆっくり捜そうと腹を決めた。しかし、どこの農家でも風体のあまりよくない新顔の私を怪しんでか、泊めてくれる家は一軒もなかった。物は手に入らず、寝るところも決まらず、麦の穂が細波のように揺れる丘の果てに、いまにも沈もうとする紅い夕日を眺めていると、このときばかりはそれまで経験したことのないような買い出しの悲哀がひたひたと胸におし寄せて来て、さすがの私も途方に暮れた。

 それでもあたりに夕闇の降り始めたころ、やっと今夜の塒を見つけることができた。それはじめじめした陰気な小集落のなかにあって、薄っぺらな板と細い柱で組み立てられた真新しいバラック造りの小屋で、どこから見ても農家には見えなかった。この家のおかみさんは陰険な顔つきをした、一見して堅気とは思えない人だったが、よほど私を気の毒に思ったのか、泊まり賃はいくらでも出すからという懇願に引かれて、泊めてくれたようだった。

 ところが夜になって、玄関のほうでただごとでない人の争う声が聞えてきた。数名の男が胴間声を張り上げて怒鳴っている。そのなかにきんきんした女の金切り声がときおり混じって聞えるのは、さっきのおかみさんの声だった。彼らのやりとりは襖越しによく聞こえた。それによると押しかけて来た男たちは、この家の主人に賭場で貸した金を取り立てに来たようすだった。今日はどんなことをしてももらって帰ると息巻いている。

 おかみさんは金切り声を張り上げて、
「うちの旦那も今日払うことはわかっていて、いま東京へ金を取りに行っているんですよ。こんやは帰りが遅くなりそうだから、あしたにして。あしたの朝には必ず持って行くから――」
 と応酬している。なかなか肝っ魂の座った感じだった。ところが親分らしい男は、
「冗談じゃねえや。その言い訳はもう聞きたくもねえ。いねえ、いねえじゃ埒があかねえ。今日は家捜しすっから家のなかをちょっと見せてくんな!」
 といったかと思うと、荒々しい足音をさせて子分らしい若い男が家のなかへ踏みこんで来た。そして真っ先に私のいる部屋の襖を手荒く開けると、二人の若い男が土足のままで飛びこんで来た。そして私のいる部屋をはじめ家のなかを隈なく探していたが、いないとわかると、ふたたび私のところへ戻って来て、
「おめえさんは誰だ!」
と聞いてきたから、私は震えながら、
「買い出しにきて遅くなったものだから、頼んで泊めてもらった者です」
 と答えると、私の顔をじろりと見ただけで何もいわずに出て行った。

 部屋を出るとき、窓を少し開けて外のほうに合図を送っていたから、外には見張りが立っていたのだろう。玄関のほうから、
「見たこともねえ顔が一人いるっきりだ」
 という声が聞えた。
「よし、今日は十二時までここで待たせてもらおう。十二時を過ぎても帰らなけりゃあ、約束だから家のなかの家財道具はいっさいがっさい持ってゆくから、覚悟してくんな!」
 と、啖呵を切っているのは親分のようだった。

 おそらくここの旦那は返済する金ができないまま、どこかへ逃げてしまったのだろう。まさか私の命までは取らないだろうが、ついでに大事な物交の品物を持っていかれはしないかとそれだけが気がかりでしかたがなかった。そして今日は何と運の悪い一日だろうと、泣きたいような気持ちになった。

 ところが、そうこうしているうちに十二時近くなって、この家の主人が若い者を連れて帰って来た。そして、押しかけていた男たちと外でしばらく話しあっていたが、借金の一部を払うことで今日のところはケリがついたらしく、男たちも口々に捨て台詞を残してしぶしぶ帰って行った。とにかくこれで大切な物交品は巻き上げられずにすんだ。彼らの足音が闇夜に消えていくのを聞いて内心やれやれとほっとした。

 翌朝、宿の主人は、
「きのうは騒がせてすまなかったですな」
 と、にやにや笑っていったが、私がまだ全然物(ブツ)を手に入れてないと聞くと、気の毒がって米を三升わけてくれた。

 悪い後にはいいことがあると母はよくいっていたが、少しでも食糧が手に入ると気持ちが落ち着く。その日は根拠地へ戻ってかなりの収穫をあげ、持ちきれないぶんを農家に預けて帰って来るほどだった。
 〈 草思社発行 長谷川末夫著 「汽車が好き、山は友だち」より抜粋 〉



※ 転記、太田



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