集団買い出しと列車地獄物語


 昭和二十年の冬、石炭不足から列車本数の大削減と乗車制限が行われたが、かてて加えて戦後の買い出しは戦前に比べて悪質な集団闇屋が多数乗りこむようになり、列車のなかは不法と暴力が支配する社会の縮図となっていた。

 一方、そうしたなかで買い出しを目の敵にする警察の取り締まりも厳しくなり、汽車を利用する買い出しには、実に大変な苦労がつきまとった。都会に向かう列車は大きなリュックを背負った人でデッキまで鈴なりだったし、窓から乗りこもうとしたのはいいが、体がなかに入らず、下半身は窓外にはみだしたまま走っている列車もよく見かけた。だから、このような無茶な乗車による列車事故が跡をたたなかった。


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 私は自転車利用の買い出しが主だったから、こうした地獄はそれまで経験したことはなかったけれども、この年(転記者注、昭和21年と思われる)の春、長男が生まれると、私もこのような地獄を経験せざるを得なくなった。

 私の家は家族が十一人も犇(ひし)めきあって暮らしていたし、週二回の買い出しだけでは、私一人の肩には背負いきれなくなってきたからだった。妹の主人は見るに見かねていたし、三男の兄もしきりに自分も買い出しに連れて行ってほしいと私にせがむようになったけれど、頼りの自転車は一台しかないし、みんなを連れて行くとなると列車よりほかに方法がなかった。とはいっても汽車での買い出しの困難さを考えると、みんなを連れて行く気にはなれなかった。

 そんな列車地獄だったが、春になって石炭事情が少しずつよくなると、去年大幅に削減された列車本数が、また元に戻りつつあると知らされ、それなら地獄も少しは緩和されるだろうと期待して、私は兄たちを連れて汽車の買い出しに行ってみようと決心した。みんなで行けば週二回の買い出しも一回に減らすことができて、そのあまった時間を原稿書きの内職にまわせると思ったからだ。汽車の買い出しを決めると、一人連れて行くのも同じだと、かねてから食料不足に苦しみ、買い出しに連れて行ってほしいと頼まれていた役所の同僚たちも一緒に連れて行くことにした。
〈 草思社発行 長谷川末男著 「汽車が好き、山は友だち」より抜粋 〉


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転記、太田

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