常磐線での浮浪児と少女に見る戦後


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 泉駅から常磐線の上り列車に乗る。混雑を覚悟していたのに、列車はかなり空いていて座席に座ることができた。しかし、途中から浮浪児のような三人の少年がウイスキーの瓶を片手に持って、ぐでんぐでんに酔っ払って乗りこんできた。

 ウイスキーをすっかり飲んでしまうと、空になった瓶を肘かけで叩き割ったり、大きな声であたりかまわずわめきちらしはじめた。周囲の人が怖がって逃げ出すと、おもしろがってその人の後を追いかけまわすなど、かなりの乱暴狼藉を始めた。

 車内の人たちはかかわりあいを恐れて誰も知らん顔をしていたが、私たちの後ろの席に座っていた中年の職人風の男(闇屋だろうか)数人が堪(たま)りかねて、しばらくすると立ち上がり、その少年たちのところへ行って、いきなり横っ面を張り倒した。

「俺たちは××で鉄砲の弾の下を潜って死ぬか生きるかの戦争をして来たのに、てめえたちは何をしてやがる!」
 と怒鳴りつけた。

 あまりの見幕に恐れをなしたのか、少年たちは一瞬おとなしくなったが、酔っぱらっていて正気を失っているせいか、ふてくされた態度で男たちを睨みつけていた。ところが、列車がつぎの駅に着くと、男たちは少年を一人ずつ手取り足取り出口のほうへ引き摺っていって、ホームの上に突き出してしまった。

 列車はふたたび静かになったが、水戸に近づくと買い出し部隊がまた乗りこんできて混みだした。水戸で鉄道公安官が四人、網棚の荷物を調べながら車室に入って来た。少し大きな荷物は網棚から下ろさせて調べている。買い出しの取り締まりでもしているようだった。

 私の横には小学四年生ぐらいの女の子が小さな袋を風呂敷包みにして大事そうに持っていた。その男の一人が私たちのそばまでくると、その女の子に、
「それは何だ」
 と聞いた。
「お米です」
 と答えると、男は、
「お米は禁制品だから没収する」
 といって、風呂敷包みを取り上げようとした。すると女の子は必死になってそれを胸に抱きしめ、
「お母さんがいま病気で、お医者さんからお粥を食べさせるようにといわれて、今日田舎へ行って、やっと三升のお米をもらって来たんです。これを持って帰らないと、お母さんが死んでしまう!」
 と目からぽろぽろ涙を零して訴えはじめた。

 私はかわいそうになって、少しばかりの米だから勘弁してやってもらえないかと口を添えた。男は他の同僚と相談していたが、鬼の目にも涙というのか、「これからは駄目ですよ」といって見逃してくれた。

 男たちがいなくなると、女の子は私にぺこりと頭を下げた後、赤い舌をぺろりと出してにやりと笑う。私はそれを見て、いまの泣きごとは芝居だったのかと呆れ返った。女の子は私を味方だと思いこんだのか、
「まだお腹に二升(3キロ)巻いているよ」
 といって、腹を叩いてみせた。さらに言葉をついで、
「買い出しに行くときには、ほんの一部分を風呂敷包みにして、これ見よがしに持っていると、調べるほうでもそれだけしか持っていないと思って、ほかはあまり調べないし、少しだと泣いて頼めば、たいがいは目をつむってくれるんです」
 と笑った。

 そして言葉を続けて、今日は兄さんとお母さんの三人で一俵の米を持って来たといい、見つけられない方法は一袋三升ぐらいに小分けにした袋を座席の下の奥のほうへ分散して隠しておくと、混雑した車内では潜ってまで調べることはまずないから、決して見つからないんです、と得意になって教えてくれた。

 日暮里でその親子三人の大きな袋を背負って階段を登ってゆく後ろ姿を見送ったが、兄という人は兵隊帰りのようだったし、まともな職も得られないまま生きるために闇屋になっているようにも見えた。私は心のなかで彼らが米を無事に家まで持って帰れることを祈った。

 家に帰ると、母に兄が元気で働いていることだけを報告して、生活の苦しいようすはあまり話さなかった。そして、使いこんでしまって渡せなかった金を、そのぶん少しよけいに家の衣料と一緒にすぐに送った。そのため私はすっからかんになってしまったが、その後、人の好いだけの兄は商売が下手で、儲ける前に元手をすり、いつまでも貧乏が続いたらしい。

 〈 草思社発行 長谷川末夫著 「汽車が好き、山は友だち」より抜粋 〉


※ 転記、太田


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