ミッドウェー海戦のころ


 昭和十七年の六月上旬、日本の運命を左右するミッドウェー海戦が行われた。四月の東京初空襲以来、山本連合艦隊司令長官は敵殲滅をはかり、連合艦隊の総力を投入してミッドウェー沖に一大決戦を挑んだ。

 ミッドウェー海戦に先だつ五月上旬、ニューギニア東南海面で、日米機動部隊同士の初の珊瑚海海戦(航空戦)が行われたが、このとき大本営は、空母2隻を撃沈、巡洋艦に大打撃、駆逐艦撃沈、さらに飛行機89機撃墜、わがほうも小型空母(補給船改造のもの)1隻と飛行機31機を失ったと発表した。


画像 しかし、ミッドウェー海戦の場合、敵はいち速く日本艦隊の動静を察知して待ち伏せし、飛行機によって4空母(赤城、加賀、飛竜、蒼竜の第一線空母)を攻撃し、わがほうの被害は少なかったものの、当たりどころが悪かったのか、自らの爆弾や魚雷の誘爆をおこして沈没してしまった。

 加えて巡洋艦3隻も操船ミスで僚艦と衝突、損傷したところを翌日、敵の攻撃を受けて沈没した。この海戦で飛行機320機と将兵3500名を失い、開戦以来ほとんど無傷だった連合艦隊は、最初にして最大の大惨敗を喫し、艦隊は作戦を中止して退避したため太平洋の制海権はこのとき早くもアメリカの手に移ってしまい、広げすぎた戦線にとっては致命的打撃になったという。

 こんな衝撃的な事実はまったく知らされず、ときの大本営発表は、米空母2隻撃沈、飛行機約120機撃墜、重要軍事施設爆砕、わが2空母、1巡洋艦に損害、未帰還機35と発表しただけだった。そして珊瑚海海戦以来、敵空母集団は殲滅され、ゲリラ戦企画まったく潰(つい)ゆと発表、同時に行われたアリューシャン攻撃で、アッツ、キスカ両島占領とともに、大戦果と発表したのである。

 しかし、この戦を境にして日本は攻守ところをかえて守勢に立たされ、敵の豊富な物量のまえに、戦局はしだいに下り坂になっていった。そしてこの敗戦のためか、大本営は七月中旬、南太平洋進攻作戦中止を決定するのである。軍が真実を発表していたら、私たちの気持ちも逆に引き締まって、全国民が一丸となって戦争遂行に協力したかもしれない。だが負け戦の真実は知らされていなかったし、遠い海のかなたの出来事
だけにそれほど緊迫感はなく、まして日本が負けるなどとは考えもしなかったから、空襲も当分はないだろうとたかをくくり、私はまた旅をしたいと思うようになっていった。

 〈 草思社発行 長谷川末夫著 「汽車が好き、山は友だち」より抜粋 〉

※ 転記 太田


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