印旛郡サイクリング






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このサイクリングは静かな印旛郡の丘陵を走るのと、その間に点在する考古学的は仏像や仏宇を探るに在る。
のんびりした家族的コースと云ひ得るで有ろう。

錦糸堀を9時頃に出発するとよい。
広く大きい千葉街道を走るので有る。
城東電車に沿って町の中を走り、しばらくして城東電車と別れるとすぐに荒川放水路を渡る。
河中にはロテキが生茂って、満々たる水は東京市内に珍しい野趣にとんだ風景である。
こゝで中川を渡り、更に立派な千葉街道の舗装道路を走る。
町がなくなって両側は田となる。
田の中には白い水鳥などが点々として一寸良い風景だが、やがてこの辺も人家が連ってしまうのだろう。

この道は眞すぐだが、やがて再び町の中へ入る。
小岩町だ。
街道的長い一本町である。
こゝを抜けるとすぐ總武線のガードを潜り金町。
本町で有って、こゝを抜けるとすぐ總武線のガードを潜り、金町よりの道との三叉路を右へと進むとすぐ江戸川を渡る。
初めて見る田舎らしい風ケイだ。
一休みしよう。
河原に下りて休むもよいで有ろう。

扨、こゝから千葉県で、すぐ市川市だ。
又、町の中で有るが、東京市内と異って、いかにものんびりした所が有る。
こゝから八幡、中山と、町の中を走ると再び海岸らしい気分の明るい田舎道となる。
この右側の田の中には白い水鳥の數が今迄よりずっと多くなって、やうやく田中へ出た気分がこくなる。
八幡を過る頃、この右手に八幡不知藪が有り、中山町には中山法ケキョー寺が有る。
共にすぐそばだから一寸立寄って見るとよい。

扨、中山を出て明るい田舎道を過ると再び總武センをフミ切って船橋市の町へと入る。
賑かな明るい町で有る。
こゝで千葉街道と別れるので有る。
分岐点は町の中央、船橋大神宮の前だ。
社は丘の上にあって見晴らしがよい。
又、一休みしよう。

こゝから道を左へ取って、佐倉街道を走るのだ。
すぐ坂を上って丘の上へと出る。
町を出外れると、今度こそ本当の田舎らしさとなる。
再び總武線のフミ切を渡って、両側に巨大なケヤキの立並ぶ、前原、中台、滝台、薬園台等の部落の中を走るのだ。
走って部落を出外れると、程なくその右手に習志野キ兵学校が有る。
こゝで舗装路は失せて、キ兵が馬で歩くため、凸凹の劇しい悪い道となる。
すぐに広バたる習志野原だ。
こゝを横断するとすぐ新木戸の部落で、こゝで道は二分し、左は木下へ通じる街道だ。

佐倉街道を捨てゝいよいよ静かな印バ丘陵へと自転車は入る。
舗装路ではないが、再び走り良い道とはなる。
今迄の街道的気分が全く失せて、のびのびとした田園風ケイだ。
右手左手に山を思わせる様な、男性的な丘陵が時々姿を現す。
静かな○○の○○だ。

自転車はやがて美しい寺台の部落に入るが、これを出るとすぐにインバ沼の一部で有った。
沼へと下る。
今は田トなっていて、これを横切ると再び前面の丘の上へと上り、更に明るい丘陵の○○○く、この辺ワタの生産地で、12月○だとワタ畑のワタをつむ老婆の姿が珍しく我々の目にうつるで有ろう。
島田台、平戸台と走る。
付近にはめづらしい様な古びた村々を過ぎて進むと、車は又しても前面のインバ○の○へと下る。
こゝはすぐそばがインバ沼の○面端で、神崎川が○の中央を流れ、静かな、いかにも水郷らしい風景に富む美しい所だ。
傍の民家でお茶でももらって、持参のベン当でもたべて一休みしよう。
こゝは又、フナ、タナゴ等の釣場として、太公望の姿の○いのも水郷らしい風ケイの一つで有ろう。

こゝを過ると道は再び丘陵へと登る。
途中より印バ沼が眼下に拡り、湖中に○○白帆が夢の様な美しさで有る。
丘の上へ上り切ると、程なく船尾の部落で有る。
こゝで一寸右へと入って、国宝結掾寺不動明王を見るがよい。
但しこれは国宝だから仲々見せないから、、一応村役場に前以て申込んでおき、承ダクを得ておくとよい。

扨、道は船尾の出外れから右へと小路を入ればすぐだ。
村の人に聞くがよい、すぐ判る。
寺はケツエン寺とその部落に在って、実に古い○ま○○寺で有る。
本尊不動明王は銅製○、1尺6寸5分で有る。

参拝を終えたら往路を戻らず、途中から右へと入るとすぐ先刻の県道にと出られる。
こゝで更に美しい丘陵タイの中を進むのだ。
天王前を過ぎ、泉新田を過ぎ、鹿墨の部落を出ると、再び小さな○へと下る。
こゝを過ぎて道が再び丘へ上る時、その中途から左へと丘の端の小路を辿ると、すぐ長皇寺と云ふ寺が有る。
こゝには国宝建造物が有るのだ。
寺はウッソーたる樹林にかこまれた静○カクな丘の上に在る。
国宝建造物は本堂の背後で、仁王門、鐘ロー、カン音堂と、古色ショーゼンたる三つの仏宇が立っている。
中のカン音堂が国宝で、実に古いものだ。



三枚目を書き写し終え、何とか四枚目に入ったところで、いよいよ判読が難しく、すでにここまでで4時間も費やしてしまったので、今回の転記もこれで終わりとさせて頂く。
転記の途中で判読不能の地名もあったが、明確に記載されている前後の地名を頼りにGoogleマップで念入りに調べたところ、正確な地名が判明した。
昭和十四年に「部落」とあった土地が、おそらく現在は都心への通勤圏内として大きく様変わりしているだろうことは想像に難くない。
この原稿は、末夫さんの著作には収録されなかった記録。
原稿はご覧の通り紙質も悪く、末夫さん自身の筆も、半ばなぐり書きに近いものだ。
それでも四枚半にわたって詳細な記録を綴ったことは、昭和十四年の世相を考慮すれば、こちらもまた真剣に向き合ってみようとの姿勢になる。
転記作業は「労多くして実少なし」との思いも無くはないが、戦前の名もない市井の一庶民が遺したこんなささやかな記録でも、いつか必ず、何らかの役には立つだろうと考え直せば、またこのような地道な作業を続けて行く原動力になると考えている。

※ 判読不能の文字は○とし、文字や文章が明らかな誤用であっても、あくまで原文を忠実にと心掛けた。
  但し、読みやすくするために、敢えて句読点や改行の手を加えた。

以下は転記を断念した元原稿。

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※ 転記 太田



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