白河より湯野上へ 奥羽山脈南部横断


前回の「白河布引山 会津湯本温泉 二俣山縦走」を、今回は末夫さんの著書「汽車が好き、山は友だち」から、ダイジェスト版として抜き書きしてみよう。
目次を見ると、「白河より湯野上へ 奥羽山脈南部横断」とあり、昭和十四年五月、両夜行一泊三日の記録だ。


 これは地図の上で探した秘境の旅だった。五月中旬、上野駅を出発。東北本線の白河駅より奥羽山脈を横断して、会津線の湯野上駅へ出る約五十キロの山の旅である。途中には中級山岳が折り重なる秘境で、素朴な温泉があり、静かな旅を好む人にふさわしいものだった。

 上野駅を前夜の夜行で発ち、早朝、白河駅を出発した。町の中心街を出たところで左へ、真名子部落への道を辿る。初め穏やかだが、しだいに急坂となる。行く手に白河布引山、二岐山などが見えて、とても楽しい。羽太(はぶと)、虫笠(むしかさ)などの寒村をすぎて約三時間、最奥の真名子の部落に着く。このあたりの住人は実に純朴だ。私が道を聞いただけなのに家のなかに招じ入れてお茶をもてなしてくれた。私が東京から来たというと、山で採ってきたという蕨や独活をひとかたぎ土産にくれた。重くてありがた迷惑だったが断り切れずに受け取った。

 さて、道は真名子より行く手の白河布引山の平頂の高原をめざして登って行く。初めは羊腸たる急坂だが、やがて平坦な道となり楢の樹林のなかを潜る。この林間から見る那須連峰は雄大だった。道は長いが、やがて前面の尾根にとりつく。そこに山ノ神の小祀があり、すぐ下に鶴沼という小さいが美しい沼がある。しかし夏は沼の水が干上がってなくなってしまう。この小祀に着けば、目の先に白河布引山の広大な高原が広がり、鎌房山から大白森山の巨峰がこの高原を取り巻いている。

 道はここから国境尾根につけられた防火線の切り開きを進む。ほどなく吃驚するような一本橅の巨木に辿り着く。この木の幹には鶴沼の水が干上がっても、一年を通じて三升くらいの清水が溜まっているという。ここからの展望がまた実によい。明快かつ静かな仙境だ。白河布引山はすぐ眼下に広大な草原を広げている。

 ここから防火線とわかれて右方向に尾根を下る。楢の原生林を潜って緩やかな斜面を進むと、ほどなく板小屋川を渡る。前方の高原のなかのただ一軒取り残されたような羽鳥看舎があり、道はその前に出る。門柱にはいかめしく「陸軍羽鳥看舎」の標札が下がっているが、おだやかな農家風の小屋である。白河布引山は広大な草の斜面の山で、一部は陸軍の山砲の試射場として使われていた。山麓の大清水から打ち出す山砲の弾が正確に目標物に当たったかどうかを調べる監的が山中に数ヵ所できている。監的は大きなお椀を伏せたようなコンクリート造りで、外側に覗き窓(径三十センチぐらい)ができていて、そこから看視員が着弾の可否をたしかめるようになっている。頑丈だが、きわめて簡単なものだった。

 広い草原はまた軍馬の育成場としても使われている。支那との戦争中なのに兵隊の姿も馬の姿もどこにもなく静まりかえっていた。看舎の番人は素朴な人で、私が訪ねていくと喜んで迎えてくれた。泊まっていってくれと、開口一番いわれた。何日も人に会わないため、人恋しさにたまらないようすだった。私は囲炉裏のそばにあがりこみ、お茶をご馳走になって昼飯を食べながら話を聞いた。

 このあたりには大昔の哀しい伝説の地が多いという。ここから小一時間ほどいった白河布引山頂上のすぐ下の板小屋川のほとりに、板小屋という部落跡地がある。その名もいまは何もなく昔の墓だけが残っているのだが、その昔、戦に敗れた武将が家来とともに板小屋に隠れ住み、平和に暮らしていた。しかし、飢饉で食物がなくなったので、屈強な男たちが山を下って白河の町へ買い出しに出かけた。そこでも食物が手に入らず、板小屋の人たちはすべて飢え死してしまった。苔むした墓が寂しく当時の面影を残しているという。看舎から板小屋へ行く途中にも五輪仏という里人が死者の冥福を祈って建てた立派な五輪塔が三基建っている。いずれも苔むした古い何百年も経たと思われるもので、この人煙まれな深山にそのような立派な墓を見ると、経緯を知らない人は吃驚してしまうだろうという。そんな話を聞きながら一時間ぐらい話しこんで別れを告げた。

 先刻、山の下でもらった山菜が重くてしかたないので小屋の番人にあげることにした。そのお礼のつもりか、私が二股温泉に出るというと、途中まで道案内してくれた。このあたりは軍馬が走るせいか枝道がほうぼうにできていて、初めての人は迷ってしまうというのだ。送りながら途中の五輪仏や板小屋の旧跡などを案内してくれた。そして、白河布引山の最高地点(九六五メートル)で別れた。

 布引山からの小道は目も眩むような大原生林を潜って足下の河内川の谷へ下る。ところが小道が急に水際で切れてしまい、この奥山で、さてどうしたものかと途方に暮れていると、川のなかをざぶざぶ歩いて来る夫婦連れの行商人に出会った。彼らから、このへんは川が道なのだと教えられ、二股への道を聞く。私も川のなかを歩いて行くと、やがて左岸に二股への道があらわれた。道はさらに深い原始林を潜って急坂を登る。

 登り切ると小道は小白森山から派生する尾根を越え、二股川の谷へ下る。その下りきったところに、二股温泉があった。木造二階建ての田舎家で素朴すぎるほど素朴な宿。湯は透明で脳病に効くという。僻遠の地にあるせいか湯治客はいなかった。湯殿は母屋の外にあり、階段を降りていくと川底に岩風呂ができている。あたりは深い原始林で、底知れない静けさが周囲を支配していた。私はその日のうちに湯野上駅まで出るつもりだったが、途中、あまりにも山深く、温泉に着いたのが、すでに四時近かったし、二岐山にはぜひとも登りたかったので、秘境の二股温泉に魅かれて一泊することにした。


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 翌朝七時に起きて、もう一風呂浴び、九時に出発した。道は二岐山の北麓を西方に向かう小道を辿る。人もほとんど通らないのか草ぼうぼうのひどく荒れた道だった。しばらく歩くと登山口と思われる鳥居の前に出る。鳥居から左へ急斜面を登るのだ。雑草と灌木の道なき道を喘ぎながら約二時間かける苦しい登りだった。

 登るにつれて四囲の展望が開ける。頂上には小祀があり、見晴らしは絶大だった。三角点はすぐこの左上の小突起にある(一五四四メートル)。三角点に立つと足下に白河布引山があり、大白森山から那須連峰が眼前に見え、遠く飯豊山方面の山々が見渡せた。大川の谷を隔てて博士山が屹立し、東方には阿武隈山脈が波打ち、その下方に白河の町が手に取るように見える。白河布引山は女性的だが、二岐山は対照的に男性的な風貌をもった山だ。私は一時間ばかり休んで山頂の快を十分に味わった。

 下山はいったん先刻の鳥居まで戻り、往路の小道を西方に辿る。道形(みちなり)きわめて悪く、ともすると消えそうになる。鬱蒼たる原始林を潜る少し長い道だが、ここをすぎて一気に山を下ると、雑根(ぞうね)の部落に着く。真名子の村から雑根まで、まったく村落がなかった。雑根から約二時間、隈川に沿って下ると会津線の湯野上駅に着く。ここにも湯野上温泉がある。一浴びして午後の列車に乗って、会津若松経由で東京には翌朝着いた。

 < 草思社発行 長谷川末夫著 「汽車が好き、山は友だち」より抜粋 >


※ 転記 太田



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