神津牧場ハイキング


いつもなら、末夫さんの訪れた土地、山々はほとんど知っていて、それなりに解説のようなことを書けるのだが、今回の「神津牧場」に関しては、私にはエアポケットともいえる地域で、上信越道も国道254も頻繁に利用していながら、一度も訪れたことがない。
原稿と地図を見比べ、なるべく原文を尊重しつつ、地名などの誤記もないように気をつけて転記するが、それでも間違いがあればお許し願いたい。
昭和11年10月の記録である。

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神津牧場は上信国境にまたがる高原に有る牧場で、明治製菓の経営になる。此こに到るには、四方より道が通じているが、中でも主なるものは、軽井沢口、中込口、下仁田口等で有る。今此こに中込より軽井沢に到るコースを記してみる。

中込駅より大月迄はバスが有るが、途中肬水‎までバスに乗って、それより内山峡の峡谷を見ながら歩いて行くのも面白い。道は大月を出て暫くして内山峠越えの‎富岡街道と分れて、左へ内山川の支流に沿って進むと、すぐ初谷鉱泉に達する。時間に余裕が有ったら、ここで飯でも仡べて一浴しても良いだろう。路はこれより小路となりて、更に川を搦んで進み、やがて急な登りとなる。

附近は気持の良い森林で、これを上がり切ると突然目界ひらけて、右手に切立った様な然も偉大なる荒船の山容を望むことが出来る。道はこれより一寸下り、やがて右へ小屋場へ到る。道との分岐より左へ再び急登行をなし、これを登り切って一寸右へ尾根を歩くと、すぐ神津牧場の木柵が有って、これを越えるともう牧場の中へ入ったので有る。初谷鉱泉より約二時間で有る。

此こはもう一面美しい草原で、所々に二本三本の樹木や、一團となった小さな森などが有り、とても気持の良い高原で有る。前面下仁田の方面はずっと山が開けていて、妙義山や下仁田附近の山々や町を望んで、何とも云へない美しさで有る。只残念なのは、荒船の見えないことで有る。

牧場の事務所へは、これより約30分、だらだらと下って行くので有る。中込を六時頃出発すれば、ここへは頂度十二時頃になるから、ここで昼飯でもたべて新しい牛乳でものんで見ることだ。もし暇が有ったら、ここに一泊して牛乳風呂にでもつかって、可愛らしい乳牛でも見て、ゆっくり牧場気分にひたって見るのもよいだろう。

下山路はこれから四方に通じていて、一寸迷うからよく事務所の人に尋ねて行くべきだ。軽井沢へは八風山経由のものと、一本岩経由のものとが有る。前者は眺望はよいが、仲々の苦しい道で有る。後者は比較的楽な道で、今此の道に就いて説明する。

道はここから一寸登るが、それからはだらだらの下りで、途中は草原で、附近の山々を望んでとても気持がよい。道はやがて渓谷沿ひとなりて、すぐ一本岩に着く。ここには直下何百丈とも思われる一本岩が聳えている。
道は更にこの下を通って、樹林帯を下って行くと、やがて高立の部落に着く。ここで道は二分し、右へ初島谷へ到る道と別れて左へ登るので有る。これが七曲りの登りで、この上がりは可成り苦しい上がりで有る。途中は陰鬱な森林で有るが、この峠を越すと、たちまち目界開けて、一面の気持よい草原帯となり、嶺線一つを堺として、余りにも違った風景に一寸驚かされる。

これよりはもう気持のよい高原を、浅間の噴煙を眺めながら進むので有る。途中で馬取萱よりの道と合し、南軽井沢に入り、これより軽井沢駅迄は大きな道を約一時間、仲々歩きでが有る。

(附)
   神津牧場―軽井沢駅間
   七曲り経由―4里

   八風山上発知経由―4.5里

   美和峠経由―5里



私が一度も訪れたことのない神津牧場の名で、すぐに連想したのは、昭和3年に前穂北尾根を登攀中に墜死した大島亮吉(享年30)と、昭和49年に82歳の天寿を全うした尾崎喜八だった。
大島が遺した「涸沢の岩小屋のある夜のこと」や「秩父の山村と山路と山小屋と」などは、山の随筆としても超一級品で、都会での無聊を慰めるには格好の文章だ。
大島の文章に触発され、訪れた山や土地もいくつかある。
そんな中に「荒船と神津牧場付近」の小文があり、私が知っている神津牧場は、大島や尾崎の文章からの知識や想像がほとんどだ。

大島は軽井沢から和美峠を越え、初鳥谷、高立、一本岩を経て牧場を訪れている。

牧場のあたりは、いたるところ、私の好きな、草や笹の、短くて、歩きよく、そしてひろびろとだだっびろくて、あけっぱなしで、眺望のいい、あかるい山頂ばかりである。

と印象を綴っているのは、末夫さんとほぼ同じ感想で、違うのは、大島はフランスパンを持参し、それに牧場で手に入れたバターを塗って食事をしていること。
違うと書いたのはこちらの勝手な想像で、節約家の末夫さんは、おそらく握り飯を持参していて、フランスパンなどは携行しなかっただろうという、根拠のない思い込みである。

一方、尾崎喜八も「神津牧場の組曲」のタイトルで随筆を遺し、昼食はバターを厚く塗ったパンを食べ、東京から持参したコーヒーには出来たてのクリームをたっぷり入れて、ウインナーコーヒーで飲んだことを書いている。
喉の渇きに牛乳を頼み、

「歌え、我が心よ、今日はお前の時だ」というヘッセの詩が、「先ず一杯」とすすめられた牛乳を飲む私の心に率然として湧くのだった。

と綴っているのは、白樺派の影響を色濃く受けている故か。
ところが、大島の盗作疑惑が生まれた。
尾崎は、大島よりも前の大正末期に神津牧場を訪れ、その時の紀行文と詩集を発表している。
おそらく大島は、その詩集を見たのだろう。
尾崎の詩集に収められた「野の搾乳場」の詩が、大島の「荒船と神津牧場付近」の文中に何ヶ所も見つかった。
しかしそれも、もう遠い昔のこと。
どちらも名文であり、読んでいて、双方の文章とも、違和感なく私の胸にストンと落ちる。

末夫さんには申し訳なかったが、高村光太郎と親交のあった、文学者の尾崎や、名の知れた登山家で、随筆も数多く発表している大島の二人と比べてはいけない。
自己陶酔の文学臭が漂う著作より、私は市井の一旅行家が書いた「汽車が好き、山は友だち」の方が、激動の昭和を真っ直ぐに生きた「人間の記録」として貴重に思えるのだ。(太田)


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