木曽御岳縦走


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何年振りかの大雪の日、末夫さんは2.26事件で多数の重臣が殺害されて戒厳令まで布かれたことで、ただならぬ騒ぎに世の終わりを感じ、日本も戦場になるかと恐怖した。
翌三月には軍の傀儡とまで揶揄された広田内閣が誕生。
七月には東京、横浜、川崎で防空演習が始まった。
その八月の、末夫さんの山行記録を、著書の中から載せる。


 木曽御嶽は海抜三〇六二メートル、北アルプス南端の独立峰で、山容雄大な日本の名山の一つだ。ここはまた信仰の山としても有名である。高山線を利用する西麓の小坂への縦走が楽になった。木曽福島町側は信仰登山者が多く、施設や山小屋が踵を接して建ち、山の静けさをやや欠くが、飛騨側からはまったく静かな山の旅を楽しめる。
 八月、東京新宿駅を夕方五時に出発すると、翌朝三時に木曽福島の駅に着く。そこから約一二キロ、田中までバスに乗る。田中には御嶽神社里宮がある。道はやがて日出滝に達するが、そこから草原のなかの急坂を登る。
 途中から御嶽の山容が望める。謝恩塔から先は原生林となり、潜り抜けると八合目の小屋がある。八合目から眺める御嶽の峰と木曽川対岸の木曽駒ケ岳の雄姿は実に美しい。
 道はここから這松地帯となるり、さらに急坂は続いて、いくつもの山小屋をすぎる。原生林を潜り、九合目の石室を越えると御嶽外輪山の鞍部に着く。頂上はこの外輪山を左へ少し登ったところで、剣ヶ峰として突出している。

 頂きには御嶽神社があり、この外輪山をさらに進むとお鉢巡りとなって、ふたたび元に戻る。御嶽頂上は大きく一ノ池から五ノ池まであり、一ノ池はすぐ直下にあって水はないが、二ノ池、三ノ池には水があり、四ノ池はちょっと下方で頂きからは見えない。継母岳、継子岳、摩利支天山の峰頭があり、さらに高天原の高原があって、頂きは突兀とした起伏をあらわし、焼け石のなかを登るので各所に鎖場がある。各頂上よりの展望は実に壮大で、木曽川の谷を隔てて近くは木曽駒、遠くに富士山や南アルプスの諸峰、浅間山、乗鞍岳や北アルプスの巨峰が波打ち、雪煙の彼方に加賀の白山が浮かぶ。その見晴らしは際限もない。

 御嶽登山は本来三日を要する。第一日は山へ登り、第二日は山上の見学、三日目は下山で完了するのだが、私は二日で終了させた。そのためには頂きについたらすぐ山頂を回遊し、翌日は早朝に宿を出て摩利支天だけを見る。約三時間かければ十分見て来られる。

 さて下山は往路を戻るもよいが、本来の自然溢るる飛騨側へ下るのがよい。下り口は五ノ池小屋から濁河(にごりご)川の谷へ下るのだ。三ノ池小屋に近く、摩利支天山は左に、高天原の高原は右にあり、昨日見られなかった人は少し早く起きてこの二つの名所を見るのがよい。
 下山路は這松地帯を下るが、やがて大原始林となり、途中にのぞき岩がある。道はさらに下って濁河川に沿っていくと、やがて岳ノ湯につく。深い山のなかに宿はただ一軒ひっそりと建つ。ここからさらに濁河川に沿って下ると、やがて川と離れ、左岸へ渡り、深い原始林を潜っていく。密林の途中の数ヵ所に山小屋が建っている。このあたりこそ木曽御料林の中心地で、そのみごとな林相は千古不斧の美林そのものだ。
 また各所に大小の滝があって、その景観は人跡未踏の奥山の雰囲気を伝え、飛騨側の登山路のすばらしさに驚異の目を見張った。木曽福島側の表登山道は行者姿の登山者と山小屋、石碑などが踵を接して賑やかだが、飛騨側は実に静かで深山の気濃く、その自然の姿は一度は見るべきところだ。
 やがて道は原八丁遊園地の草原をすぎると立派な林道に出て、約二時間ほどで落合の集落に出る。そこからバスに乗り、小坂町に出て、高山線の岐阜で乗り換え、東海道線夜行で東京に戻るのは翌朝となる。

 < 草思社発行 長谷川末夫著 「汽車が好き、山は友だち」より抜粋 >
 

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末夫さんは暗雲立ち込める世情に立ち向かうがごとく、憑かれたように、以後も山へ向かう。(太田)



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この記事へのコメント

おぼろtづき
2011年01月31日 17:05
優しい思いやりのある素敵な方でした。末夫氏は、