成田山サイクリング


末夫さんの原稿を転記しながら感じたのだが、今回は楽しい作業だった。
それは現在の発展ぶりを知っているからで、末夫さんが実用自転車で走った昭和十三年当時は、こんなにも長閑な場所だったのかと、思わずため息が漏れた。
今回は、末夫さんの著書「汽車が好き、山は友だち」 (参照1) (参照2) にも載っていない、自転車での日帰り小旅行だ。


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此のコースは花の咲く四月の頃が一番良い。
一日のサイクリングには丁度手頃なコースで有る。

錦糸堀を朝七時頃出発するとよい。
道は千葉街道を城東電車に沿って進む。
やがて電車が右に別れるとすぐ小松川橋を渡る。
中川は水を満々とたゝえて、まるで絵の様に美しい。
橋を渡ると右へ入る大きな道が有るが、これは行徳へ行く道だから注意を要する。
何でも眞直ぐ進めばよい。

道はやがて人家を出外れて、左右、水田の中を行く。
田の中には白い水鳥などが居て、仲々野趣に富んでいる。
再び町の中へ入り、総武線のガードを潜り右折し、江戸川を渡るとすぐ市川市に入る。
左手に鴻ノ台の丘陵を望み、立派になった市川の市街を通過すると、すぐ左側に八幡藪が有る。
向側が透いて見える様な小さな竹藪で、少しも傳説に有る様な気がしないのも変で有る。
此れから船橋迄はずっと町續きだ。
船橋も最近市政を布いて、市川市を出るともう船橋市で有る。

左側に日蓮宗四大本山の中山法華寺を見、中山競馬場横を過ぎ、更に街の中央を走る事暫し、総武線の踏切を越えて旧船橋町へと入る。
再び京成電車の踏切を越えると、すぐ船橋大神宮の前に出る。
ここで道は二分する。
右へ行けば千葉で、成田は左へと入る。
道はこゝで坂を上って丘陵帯となり、総武線の踏切をこへて美しい畑の中を快走して行くと、やがて習志野騎兵学校の前に出る。
こゝで突然今迄の楽な補装道路は失せて、悪い石コロ道となる。
こゝから有名な習志野原で、道は其の中央を縦貫左右に軍馬の馳驅する様を眺め、やがて此れを過ぎると美しい松林で、暫くして大和田の町に入る。
更に美しい松並木を潜って、二三丘陵の上下を繰返して行くとすぐ白井で有る。
何となく明るい白井の町を出ると、すぐ京成電車の踏切を越えて、初めて印旛沼をすぐそばに望みつゝ進む。
湖中に浮く白帆を眺めての快走は、実に良いものだ。
道は暫くして湖畔を離れ、再び丘陵を上下して佐倉に着く。
更にいくつかの上下を繰返して酒々井の町に入ると、有名な佛都成田ももう僅かで、十二時頃には着くで有ろう。
途中で宗吾に到る道が有るから、一寸寄って参拝して来るとよい。

成田に着いたら先づ不動尊に参拝するがよい。
御本尊不動明王は弘法大師の敬刻開眼せし霊像にして、天慶二年、平将門関東に乱を起すや朝敵降伏祈願のため、洛西高雄山神護寺より、当成田に移したものと云われている関東唯一の流行佛で有る。
寺の背後の公園が良いから見て行くと良い。
扨こゝで、昼でも吃べて出発するとよい。
足に自信の有るものは、これより六粁滑川町に到り、小御門神社に参拝、利根川べりを木下に出て歸るがよい。
しかし疲れた者はこゝから往路を戻ってもよく、安喰から木下に出て、松戸へ抜けるがよいで有ろう。

今此こでは前者のコースを説明しよう。
道は成田の町から一気に下って平地にと出る。
そして右手の丘陵に沿って進む。
左は長沼から利根に續く限りない平地で有る。
成田より約四十五分にして寂れた様な滑川町に着く。
小御門神社はこゝで滑川観音の前から右へ折れて、小さな道を丘陵の中へと入るので有る。
約20分にして神社の前に着く。
小御門神社は別格官幣社で、南朝の忠臣藤原師賢公を祀る松の美林で囲まれた、美しい丘の上に有る静かな神社で有る。
参拝を終えたら再び往路を滑川へ戻る。
前記の滑川観音の仁王門は、国宝に指定された古建築で有る。
こゝから木下へ到るのは、町の入口から左へ入るので有る。
道はすぐ利根川の堤防になる。
悠々として流れる大河坂東太郎を眺めての快走は、本コースでの金字塔で有ろう。
青い草の褥の上に悠々として遊ぶ牛馬や子羊の群は、到底口で現せぬ景趣で有る。
此の堤防は長いから充分其の妙味を味ふ事が出来るで有ろう。
途中で安喰町へ出る道が有るが、堤防沿ひに行く方がよい。

木下町の入口で成田からの道と合する。
此れから東京へ到るには、我孫子をへて浜街道を千住に出る道も有るが、、此れは道も非常に悪いから止して、木下から一路、松戸へ出た方が早くて道がよい。
木下町の出外れで成田線の踏切を越え、左手の丘陵に沿って平地を走る事約十五分ぐらいで、右手に手賀沼を望む地点に到る。
此の辺から道は丘陵へと登る松や杉の有る気持の良い丘を上下しつゝ進むと、やがて白井の部落に着く。
こゝで道は二分する。
左へ行けば中山で有るから、右へと道を取る。
更に美しい林や、広々とした高原的な畑の中を進んで行くと、やがて藤ヶ谷ゴルフ場よりの道と合する。
こゝで道は一変して、嬉しいアスファルトの補装道路となる。
気持の良い丘陵の風景も、此の思わぬ道路の一変で更に良くなるで有ろう。
こゝから気持の良いサイクルウエイを松戸迄は約一時間、たまらない走り心地で有る。
途中には東京市の八柱霊園が有る。
松戸よりは浜街道を千住へはもう僅で有る。




「城東電車」の名称は初めて知った。
錦糸堀とあるので、都電の前身であることは分かる。
錦糸堀は、隣の錦糸町駅前(南口)の停留所と目と鼻の先の停留所で、まだ都内を網の目状に走っていた都電の停留所では、距離が一番接近していたことでも知られていた。
錦糸町駅前が終点で、確か28系統だったと記憶している。
車の交通量も多く、保守が難しかった要因もあったのだろうが、とにかく走行中の横揺れが激しく、吊革や手摺りにしっかり掴まっていなければ、立っていられないほどだったことも覚えている。

28系統と錦糸堀でクロスしていた路線が、亀戸を経て小松川方面に延びていた。
末夫さんは、サイクリングの起点を、この錦糸堀に置いている。
そこから江東区を東進するのだが、現在、住宅が密集している江戸川区も、末夫さんは、

道はやがて人家を出外れて、左右、水田の中を行く。
田の中には白い水鳥などが居て、仲々野趣に富んでいる。


と書いている。
千葉に入ると、それがもっと顕著になる。
丘陵帯の美しい畑、松並木、印旛沼に浮く白帆、悠々と遊ぶ牛馬や子羊の群れ、広々とした高原的な畑、気持ちの良い丘陵の風景等々。
連想するのは、まだ平和だった頃の三里塚辺りの光景だ。
大地の限りゆるやかな起伏の豊穣な畑ばかりで、静かで明るく、牧歌的な土地だった。
ただただ、隔世の感がある。

文中の八幡藪とは「八幡の藪知らず」のことで、今の若い人は知らないだろうが、私のような中年が、かろうじて覚えている伝説だろう。
昔は「神隠し」が信じられていた。
一度立ち入ると、二度と出ては来られない場所で、平将門が葬られているなどの言い伝えから来ているようだ。
試しに広辞苑を引くと、

八幡の藪知らず

千葉県市川市八幡町の千葉街道南側にある三百坪ばかりの藪。ここに入れば再び出ることができぬとか、祟りがあるといわれる。転じて出口のわからないこと、迷うことなどにたとえる。



松本清張以後は青木ヶ原にお株を奪われた感があるが、伝説が喧伝されるようになった江戸時代には、雑木などの藪が相当に密集して、入り込めば方角を失うこともあったのだろう。
禁足地として、現在も立ち入りは制限されているらしい。
土地の所有者を知りたいものだ。
「鴻ノ台」は国府台だろう。

全行程、十時間とある。
読めばほとんどの道が未舗装であることが分かるだけに、末夫さんは自転車でも、その健脚をいかんなく発揮している。
「習志野騎兵学校」とあるように、きな臭い時代だが、心の底から楽しみながら、颯爽と風を切ってペダルを漕ぐ情景がいとも簡単に浮かぶ。
それは何度となく訪れている馴染みの土地ばかりだからだろう。
今ならば車に邪魔にされ追い立てられ、数え切れない信号に停められ、とても十時間では走れない。
時代が変われば風土も変わる。
仕方のないことではあるが、それがちょっと残念だ。(太田)


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