稲含山 赤久縄山縦走


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今では初心者向けになってしまった感のある山々だが、末夫さんは戦前に、まだほとんど世に知られていなかった西上州の山を縦走した。


熊谷から高崎をへて横川へ到る車窓の左手に、秩父山塊とは離れて一際高く聳ゆる秀麗な三つの山々を見るで有ろう。
一番先に在る近接した二つが東御荷鉾山、西御荷鉾山で、其の後方に更に高く聳ゆるのが赤久縄山で、共に西上州山岳の盟主で有る。
今、稲含山から此の赤久縄山への縦走を簡単に記してみよう。

上野を前夜の6時頃の?車で出発し、高崎で上信電鉄の最終に乗り込み、下仁田で半泊する。
翌日六時頃、下仁田を出発するとよい。
南牧川を渡って對岸吉崎に到り、栗山川に沿って山間へと入り、鷹ノ巣をへて高倉に到る。
此れから先はもう部落はない。
稲含山は此の部落から其の山頂を見る事が出来る。
道は稲含山と他の山との中間の谷を登って行く非常な急坂で、可成り疲勞を覺える。
雑木林を抜けると落葉松の林で、やがて此の沢を登り詰めて稲含山左側の鞍部に着く。
こゝに朱い鳥居が有る。
今迄の道は此こで眞直に梅ノ木入方面へ下っているから、こゝで右へ稲含の山頂へ通ずる小路を取る。
(赤久縄へ到る林道は、この分岐点の附近で稲含の凸起の裾を巻いて通じている)
此の道も非常な急坂で有る。

朱鳥居から約25分で、此の山頂、稲含山神社に着く事が出来る。
稲含神社は上州一ノ宮貫前神社の奥の院と云われて、当地の有名な神社で有る。
社殿は非常に立派で、宿營が出来そうだ。
三角点はすぐ傍の凸起の上に有る。
頂上よりの眺めは実に美しい。
赤久縄、御荷鉾近くに在り、浅間悠然と噴煙を靡かせ、荒船山から浅間隠に到る上信国境連山あり、目下に下仁田方面の市街を望み、妙義、怪峨と聳ゆ赤城、榛名上信国境等、呼べば答えんばかりで有る。
杖植峠に通ずる尾根との鞍部に出る此の間道は非常に悪く、僅かに踏跡が有るのみで有るから注意を要する。
鞍部に下れば左側から立派な道が来て居るから、それに沿って行けばよい。
天気の悪い日は稲含山頂より再び朱鳥居へ戻って、新宮経由の道を取った方が安全で有る。



私が最後に稲含山に登ったのは、かれこれ十五年以上も前のことだ。
荒船山(行塚山)と、名前に惹かれて訪ねた物語山を済ませ、下仁田の「清流荘」に泊った翌日のことだった。
「日本秘湯を守る会」の宿を巡り、スタンプを集めるのが本来の目的だから、朝はゆっくりして過していた。
ところが地図を見ているうちに、登行欲が疼き始めた。
いつものように、登山道具一式は車に常時積んでいる。(参照)
そこで、ちょっと出掛けてみることにした。

末夫さんは下仁田からの地名を詳しく書き、高倉が最後の集落と言っているが、私の記憶では、宿から簡易舗装された道が、高倉の先の茂垣という集落まで延びていた。
以前は、やはりマイカー登山で富岡万場線を利用したので、下仁田から入るのは初めてのコースだった。
のどかな風景の集落で、畑や民家周辺に芝桜が咲いていたから、季節は春だったことを、いま思い出した。
ここまで車で行けた。
後は道なりに進むだけで、鳥居峠までは、少し気合を入れた散歩程度だった。

峠を過ぎると、やや急な登りはあるものの、稲含神社を背に、少し登って頂上に着いた。
眺望は春霞でぼやけ、末夫さんが見た景観には及ばないが、それでも充分に満足のいくものだった。
ツツジの頃は、更に見事らしい。
赤い鳥居も健在だ。


扨、道は再び急坂を登る。
鬱蒼たる雑木の林で仲々苦しい道は、前方の1360米の峯へ取付き、こゝから尾根の右手を落葉松を潜って進む。
漸くして熊笹の美しい尾根に出る。
見晴も素的(ママ)だ。浅間も見える。
左手に鮎川の谷を隔てゝ赤久縄の尾根を望み、一際高く赤久縄山はすぐそばだ。
稲含山が目下に見える。
神社の屋根が太陽に輝いて、感慨無量で有る。
道は更にこの尾根を輕く上下して行く。
鮎川の谷も次第に小さくなって、やがて此の尾根と赤久縄の尾根とが合すると、左から赤久縄よりの林道来る。
杖植峠も、もうすぐそばだ。
此こで今来た道と別れて、左へ赤久縄への林道を進む。
道は主として熊笹と背の低い落葉松の間を行くので、とても明朗な展望道路で有る。
上下は有るが、余り苦しくはないが、最後の赤久縄への登りは仲々骨だ。
赤久縄山は海抜1500余米。
頂上には落葉松の疎林が有って余り展望は良くないが、すぐ目前に怪異な両神山有り、三国山から奥秩父の連峯を霞の中に望み、更に目を轉ずれば浅間、鼻曲、上越国境やゝ遠く、妙義、榛名、赤城等近し。
大関東平野恰も大洋の如く拡るを見る。
両御荷鉾山やゝ低く、稲含山M形に聳ゆ。



御荷鉾スーパー林道が出来て、季節さえ間違わなければ、赤久縄山は幼稚園児でも登れるつまらない山になってしまった。
確か、時の総理は、不沈空母発言のN閣下ではなかったか。
数年前の台風で、大きな崩落が発生し、いまだに復旧工事が続いているとも聞き及ぶ。
今さら自然破壊を嘆いたところで、閣下お膝元の失対事業なのだから、納得せざるを得まい。
生意気を書いたが、林道から往復一時間もあれば、頂上でのんびりして戻ることが出来る。
そんな理由で、赤久縄山は二度しか行ったことがない。
使えるものは何でも使うから、二度目はもちろん、スーパー林道を利用させて貰った。
正確を期せば、一度目は登り、二度目は行った、ということになる。


眺望を充分にしたらいよいよ下りだ。
措しい気持で有る。
道は一気に赤久縄の凸起を下って、再び尾根を上下して進む。
此の道は雑木や雑草が生えていて余り景色も良くない。山が低くなったためで有ろう。
一時間程して十字路に出るが、左へ行けば富岡で有る。右へ下れば万場だ。
此處で右へ下りても良いが、尚も尾根を辿るとすぐ塩沢峠に着く。
此處から更に尾根を辿れば御荷鉾山だ。
こゝで尾根を下って右へ下り、万場へ到る道を取る。
すぐ落葉松の林へ入るが、此れを出ると雑木の林へ入って一気に前面の谷へ向って急坂を降り、漸くして塩沢川畔へ下り着く。
こゝで前記の道と合して進む。
道も非常に緩かな楽な道となる。
塩沢川に沿って行くが、すぐ塩沢部落に入る。
こゝからは万場も近く、40分とは要しない道程で有る。



東西の御荷鉾山も、林道の恩恵で、初心者でも簡単に登れる山になった。
それでも眺望が利くから、そこそこ満足はさせてくれる。
メインは西だろう。
広い駐車場もあり、目の前が登山口になっている。
ヒノキの植林帯や、間伐材で整備された階段には興を削がれるが、頂上からの眺めは素晴らしい。
投石峠まで下ったら、そのまま林道を歩き、尾崎喜八の文学碑を眺めて車へ戻る。
時間があれば東に登るのも良いだろうが、私が最後に登った十五年前は若い雑木で眺望が利かなかった。
現在は推して知るべし。
ナナカマドが少し色づき始めていたから、ちょうど今のこの時期だったと思う。
帰りに鬼石の日帰り温泉施設、「桜山温泉センター」に立ち寄り、三波石を使った露天風呂に浸かった。
広間のカラオケがうるさく、一日を締めくくるには残念な終わり方だった。


万場で注意せねばならない事はバスで有る。
余程早く(4時半頃迄)着かないとバスが無くなる事だ。
もし不幸にも乗り遅れたならば、トラックに頼んで乗せてもらうがよい。
又、下仁田を朝3時か4時頃に出発すれば、一寸強行では有るが、両御荷鉾山をも更に縦走する事が出来得るで有ろう。

下に三日の大縦走コースを記して参考とする。

中込駅―内山―荒船山―尾沢―下仁田(泊)
下仁田―稲含山―杖植峠―赤久縄山―塩沢峠―万場(泊)
万場―東御荷鉾山―西御荷鉾山―三波川峠―鬼石―本庄



この末夫さんの山行は、昭和十三年四月二十一日から下仁田一泊だけなので、御荷鉾には登ってはいない。
だから、「三日の大縦走コース」とは、末夫さんが考える理想のコースだろう。
初夏のヤマツツジや紅葉、そして晩秋から初冬にかけて、カサコソと枯葉を踏みながらの登山は、人さえいなければ、静かで素晴しいコースになる。
そして良し悪しは別に、マイカー利用で急げば、一日で回れてしまう。
人が大挙して押し寄せる、いわゆる「名山」を稼ぐ登山も、それはそれで良いが、スーパー林道など無かった戦前の西上州の山を目指した末夫さんの心情は、想像するだけでも小気味良い。
当時の記録を、こうして律儀に遺してくれたお陰で、ほとんど人跡未踏に近かった本来の山の姿に想いを馳せることが出来るのも有難い。
自然を慰撫しつつも、未知へと果敢に突き進む精神は貴重だ。
最近、つくづく思う。
世間は非情、自然は有情。(太田)


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