丹沢主脈縦走


今回は私にも懐かしい丹沢なので、楽しく綴ろう。
昭和十一年五月の山行だ。

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 丹沢山塊は私の好きな山だったが、国鉄の利用だけでは不便で、その情報も乏しく西部丹沢は未開の山として安心して登れなかった。初めて登ったのが昭和十一年五月で、相模線橋本駅より道志街道を夜通し歩き、途中、長野の集落で半泊し、翌早朝出発。焼山、姫次原を経て、最高峰の蛭ヶ岳(一六七三メートル)に登った。小道だが、いい道だった。急坂と高原が交互にあり、初めは原始林だが、焼山をすぎるころから緩やかな姫次の高原となり、見晴らしはすばらしく、最後の蛭ヶ岳への登りは少々大変だった。頂上は原始林に覆われ、展望はあまりよくないが、右手へ入ると展望台もあり、箱根、富士の全容が望めた。

 ここより稜線を辿ると、密林あり、草原ありだが、あまり上り下りのない尾根で、途中に鬼ヶ岩があり、巨岩をよじって進むところはちょっと爽快である。鬼ヶ岩をすぎて不動ノ峰を越すと、すぐ丹沢山につく(一五六七メートル)。頂きは広々とした草原で富士、箱根、秩父、多摩の山々が一堂に集まり、見晴らし百パーセントである。簡単な藁小屋があり、無人だが、泊まることができる。塔ノ岳は小一時間の近くにあり、主として密林地帯だが、竜ヶ馬場だけは心地よい草原だった。そこから急に展望が開け、眼下に太平洋の波頭を見、平塚、秦野の市街、江ノ島、伊豆の大島まで見える一大パノラマだった。

 それまでは深山の感が深いが、竜ヶ馬場からは急に明るい草のなかを大倉の村へ急下降となる。大倉から小田急渋沢駅までは歩いても約一時間あまりだ。この旅では途中人っ子ひとり会わず、静かな山のなかを歩いて来られたのは楽しいかぎりだった。

 < 草思社発行 長谷川末夫著 「汽車が好き、山は友だち」より抜粋 >


個人的なことで恐縮だが、丹沢は十代半ばからのホームグラウンドで、毎週のように通った。
誰もがそうであるように、初めは表尾根の縦走で、中学二年のことだったと記憶している。
この末夫さんのコースは元より、東西南北、丹沢は隅から隅までくまなく歩いた。
それから間もなく、真夏のシャワークライムの爽快な魅力を知り、沢登りがメインとなった。
何より、いつでもどこでもすぐに水が飲める。
これは炎天下で汗を滴らせながら縦走路を歩く修験道のような苦行から解放されることを意味する。
重い水筒を背負うこともない。
その分、ドリップのコーヒー一式を詰め込み、冷えた体を温める。
これが沢登りの醍醐味だと実感した。

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表尾根から本谷へ何本も派生する小沢を、駆け登り、また駆け下りと、一日に何度も繰り返したものだ。
特に楽しかったのは本谷の遡行で、最後のガレを適当に登り詰めると、塔ノ岳附近の縦走路に飛び出す。
驚く登山者の表情も面白かったし、彼ら彼女らの数分の一の消耗しかせずに、稜線まで登れることも愉快だった。
一応、頂上の標識にタッチし、後は大倉のバカ尾根を下るだけだ。
末夫さんとは違い、バスで渋沢まで出る。
楽しい十代だった。

やがて西丹沢にも通うようになるのだが、末夫さんも、この二年後には西丹沢へ向かう。
この原稿は残っているので、そのうちにアップしよう。(太田)


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