浅間山登山


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ご承知の通り、浅間山は深田久弥が選んだ日本百名山のひとつである。
百名山ブームは中高年を中心として今も続いている。
ある程度の基準を設けて選定した百峰ではあるが、これはあくまで深田の主観に基づいて決めた山々で、個人によってその価値基準や判断は違う。
しかし大多数の人は深田の百峰を絶対のバイブルとして、他に数多ある山には目もくれず、ひたすら深田百名山完登に余念がない。
メディアの情報量も多いので、未踏の山でも安心して登れるとの錯誤もあるのだろうが、季節や天候、日程や体調のコンディションさえ良ければそれほどの困難はない。
しかし初心者では難度の高い山もあるし、リーダーに任せ切りでコースも知らずに追従するだけの超初心者もいると聞くと、百名山の功罪も考えなければならない。
感動には個人差があるはずだが、深田の感動を追体験して、「百名山完登! 百名山制覇!」と満足している姿は何だか物悲しい。
浅間山の頂上付近は現在立ち入り禁止である。
深田百名山の崇拝者たちは浅間山のピークに立てず、画竜点睛を欠くと切歯扼腕しているのだろうか。

物悲しさを通り越して、これはもうサイテーと思わずにはいられない外国人(外人は差別語らしい)まで現れた。
本にもなっているのでご存知の方も多いと思うが、環境保護者を自認するニュージーランド人の二人組で、とにかく登山のスピードや脚力をひたすら自慢しつつ、深田百名山を効率よく早回りしたという内容だ。
日本語が読めないふりをして「立ち入り禁止」内に堂々と侵入し、噴火口を回り込んで山頂に立っている。
中には某山頂で全身ヌードになって記念撮影などもしている。
バカバカしいので敢えて書名は記さないが、文庫にもなっているので簡単に手に入る。
日本人の百名山ブームを揶揄していると思われる記述もあるので、日本人中高年登山のアンチテーゼと読むこともできるが、クジラの調査捕鯨を妨害し、クジラを護るためならば人間に危害を加えることも辞さないテロリスト集団を支持するお国柄の人たちの、登山記ともいえない上から目線のエッセイの類である。
環境保護を名目に人間を標的にする行動の行く末は、人類滅亡して山河あり、というところだろうか。

話が脱線したので修正して終わりにするが、最近ではミシュランで高尾山が紹介されると、大挙して高尾山に押し寄せる日本人の国民気質がある。
深田の百名山ではなく、自分の百名山を選んでみる発想がなぜ生まれないのか疑問に思うこの頃である。

さて、枕はこの辺りで終わりにして、昭和七年といえば5・15事件の年である。
首相の犬養毅が暗殺され、その処理によって軍部が力を得て、このテロから2・26クーデターへと国情は流れ始める。
時代の趨勢ではあるが、撃たれてもなお、「話せば分かる」と暗殺者に告げて斃れた犬養の死は、国策のひとつの転換点でもあった。
昭和七年で思い出すのだが、ドイツの総選挙でナチス党が大躍進したのもこの年だった。
そんな暗い世情に背を向けるように、末夫さんは浅間山登山に向かった。
まだ草軽鉄道健在の時だ。
(余談だが、かつて大正時代、信州秋山郷最奥部で切明のダム工事の際に使用された車両などが草軽鉄道に譲渡された)


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昭和七年四月、末夫さんは逓信省で日給一円十銭の臨時雇いで働くことになった。

当時、逓信省は大手町にあって、私はあいかわらず谷中の家から不忍通りを、鉄道学校時代の学生服に弁当箱をぶら下げて毎日歩いて通った。
一年の予定が二年になったが、この二年間は私の一番つらく哀しい青春時代だった。学歴も金もない乞食のような貧乏人が金持ちの社会に首を突っこんだときに感ずるとまどいといったらいいだろうか。激しい劣等感と絶望に苦しめられた。そのころの中央官庁は、極端な学歴尊重の社会だった。乙種実業学校しか出ていない臨時雇いの私など、まるで人間扱いされないことを知った。

< 草思社発行 長谷川末夫著 「汽車が好き、山は友だち」 より抜粋 >

例によって文中に差別語があるが、本文を忠実に転記したことと、その時代背景を考慮したものであって、どうかご容赦願いたい。

この時期、末夫さんは鉄道学校時代からの唯一の親友(以前にもたびたび山行を共にしていたO氏)を粟粒(ぞくりゅう)結核で亡くしている。
失意の中、仕事にも絶望しかけていた心を慰めてくれるのは旅と登山だけだった。
そして、かつて友と登った浅間山に再び向かった。
だがそれは、厭世による山行でもあった。

二五六八メートルの山頂に立つと、下界から見た優美な山には一変して恐ろしい地獄の雰囲気が漂っていた。生きもののかけらも見えず、灰色の瓦礫のみが広がる死の世界だった。山頂は縁だけ残して、直径千メートルもあるかと思われる巨大な噴火口が口を開け、そこは一度飛び込んだら這い上がる隙もない直立した深い深い火口壁だった。そして、その火口底から轟々たる唸りをあげて毒ガスが噴き上がり、いまにも大爆発をおこしそうな、もの凄い光景が繰り広げられていた。体は震え、足は萎え、恐ろしさに夢中で逃げ帰った。
 湯ノ平高原へ戻って、そこで息を整えた。そして気持ちが落ち着くと、死がいかに困難で勇気のいることか、いまさらながら思い知った。そして、自分は何のために死ななければならないのだろうか、その差し迫った理由を探してみたが、何もないことに気がついた。あるのは自分の弱さと意気地のなさだけだった。
 そう考えたとき、死ぬ気でやればどんな困難にも打ち勝てるはずだと悟った。そう思うと肩にしがみついていた死に神が、すっと離れていき、気持ちがずっと楽になった。それにもし死んでしまったら、二度と湯ノ平高原のような美しい大自然を見ることはできない。たとえ乞食になっても、この大景観を友として生きて行ければ、それだけでもしあわせなのだと一種の悟りを浅間山で得て帰って来た。

< 同抜粋 >

年月日順のエントリーではないので前後するが、この時期の末夫さんの山行は以下のものである。

赤城山縦走、浅間山登山、八ヶ岳登山(単独行)、甲斐駒と鳳凰三山(失敗)、谷川岳、那須岳、奥利根玉原越え、奥多摩の山々、赤城山再縦走、雲取山(単独行)、日光男体山、日光女峰山(失敗)、妙高山(失敗)、三峰縦走、大菩薩峠越え、小金沢連峰(失敗)、西丹沢大室山(失敗)、などがある。
この他にも、鉄道を利用した関東近郊へのハイキングや寺社巡りは既出のエントリーでご承知の通りである。
(太田)



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