牛久女化稲荷


昭和初期の失業地獄から昭和五年の世界大恐慌と、時代は不況の嵐に見舞われていた。
当時の日本の主幹産業である生糸の価格暴落、都会で見つけることの出来ない就職口に見切りをつけ、失業者は農村に仕事を求めた。
しかし皮肉にも豊作による米価下落、絵に描いたような典型的な豊作貧乏。
野菜農家にしても、キャベツ50個で煙草の「敷島」1箱の価値しかないという有様だった。
そんななか、高等小学校を昭和三年に卒業し、その後、修行年限二年半の岩倉鉄道学校を出た末夫少年は、昭和六年の正月に、ある神社を訪ねる。
そしてその神社が以後、長谷川家の守り神ともいうべき特別な存在になる。

 昭和六年の正月の朝、目を覚ますと、外は一面の銀世界だった。宮中の歌会始めの御題が「社頭の雪」だったので、絵の好きな私は上野の東照宮にスケッチに行こうと思い立った。ところが父は絵を描くなら牛久の「女化稲荷」(おなばけいなり)に行って来いという。その社は常磐線の汽車旅行で、牛久駅の名所案内板で幾度も見て知っていた。何か伝説の古里を思わせるその名称に一度は行ってみたいとかねてから思っていたし、父もやはり同じ考えだったのだろう。私の下手なスケッチを通して、まだ見ぬ稲荷の社を見たかったに違いない。
 私はスケッチブックを抱えて、上野駅から列車に乗った。牛久はそのころ淋しい小駅で、駅前に水戸街道が走って、ちょっとした集落を作っていたが、線路の反対側は一面の畑と山林になっていた。駅に降りて稲荷への道を聞いたが誰も詳しくは知らず、多分この方角だろうと、線路向こうの山林のほうを指さした。その方角へ向けて歩いて行ったが、幅一メートルの農道は、ともすると雪の下に隠れがちであった。
 いくら歩いても人っ子ひとり会わず、家の影さえ見えなかった。道も畑もすっかり雪の下に隠れてしまい、一面の銀世界となった。このあたりは昔から「女化原」(おなばけはら)と呼ばれる大原野である。狐狸妖怪があらわれて旅人を誑かすと何かの本で読んだ記憶がある。周囲は鬱蒼たる大原生林が取り巻いていて、太古の面影がそのまま残っていた。どうやら道に迷ったようだし、心細くなって引き返そうかと思っていると、左手の林のなかから正月の晴れ着をきた、十歳くらいのかわいい女の子が地から湧いたように飛び出して来て、
「女化稲荷はあっちよ」
 と聞きもしないのに案内してくれる。
 女の子は道のない林の雪の上をピョンピョン飛ぶようにして歩き、私よりもずっと早い。そこまで小一里(約三キロ)もあった。林を抜け畑を越え、ふたたび入った森のなかに社があった。何百年を経たと思われる原始林のなか、天日を遮って薄暗い、半ば朽ちかけた社は落葉に埋まっていた。訪う人もないのか荒れ放題だった。それは昔、「金毛九尾の狐」が隠れ住んだという京都の古寺を連想させる社で、不気味さに思わず身が引き締まった。
 けれどもそれだけに何ともいえない神秘さも感じた。父との約束もあり、一生懸命スケッチの筆を走らせる。女の子は後ろで、じっと見守っていたが、絵を描き終えて振り返ると、姿は消えていた。私は神社にお賽銭をあげ、就職を祈願して帰途についたが、途中であの女の子に、持っていた一箱のキャラメルをやればよかったと悔やんだ(スケッチは昭和四十八年のもの)。
 牛久の駅へ戻って初めて気がついたのだが、着ている衣服は雪に濡れ、ゴム長にも雪が入って足袋はびしょびしょだった。寒くてしかたがないので、駅前の食堂でうどんを注文した。店のおばさんは雪に濡れた私の身形を見て、どこへ行って来たのかと聞く。私が、
「女化稲荷へお参りに行って来たんです」
 というと、怪訝そうな顔をして、
「こんな雪なのに、よく道がわかったね」
 と、ひとり言のように呟いた。そして、言葉を続けて、
「きっとお稲荷様が案内してくれたんだよ。正月早々からよかったねえ」
 といってくれた。私はまさかと思いつつも、胸がドキンとするほど驚いた。
 家に帰って父にスケッチを見せ、その話をすると、じっと絵を見ていた父は何を思ったのか絵を神棚に供え、お灯明をあげて長いこと拝んでいた。夕食の膳にめずらしくお銚子を一本つけさせて、それを飲みながら、
「今年はきっといいことがあるぞ」
 といった。

< ㈱ 草思社発行 長谷川末夫著 「汽車が好き、山は友だち」より抜粋 >

狐に化けて末夫さんを女化稲荷に案内した女の子の正体は謎だが、お参りから三日後、岩倉時代の友人が訪ねて来て、末夫さんに就職を斡旋してくれる。
人生初めての就業だった。
仕事の内容は建築設計のアシスタントだったが、この仕事こそが、後に建築の分野で立身する末夫さんの第一歩となる。
場所は浅草馬車道、隅田川に近い言問通り裏の、芸者置屋の密集する中にあった。
月給は五円、薄給ではあったが、末夫さんはそこで懸命に働いた。
市内電車に乗れば片道七銭の距離を、倹約のために上野の自宅から毎日歩いて通った。

牛久女化稲荷は長谷川家の守護神、開運の神といっても良いだろう。(太田)


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