布勢弁天参詣


原稿を見てこれを書くにあたり、まずネットで「布勢弁天」を検索した。
出て来ない。
次に地図を見た。
すると我孫子の北、利根川の右岸に一字違いの「布施弁天」を見つけた。
これがお目当ての「布勢弁天」だった。
かなり大きく、由緒あるお寺だと判った。

日本三弁天は竹生島、宮島、そして江ノ島である。
そのくらいは知っているが、関東三弁天というものがあるとは末夫さんの原稿で初めて知った。
考えれば、浅草にも有名な弁天様がある。
その浅草と江ノ島、布施を関東三弁天というのだろう。
それにしては「布施」の知名度は低い。
他にも鎌倉の銭洗弁天などがあり、こちらの方がはるかにメジャーな存在だ。
しかし関東三弁天は「布施」だといわれると、ああそうですか、と納得するしかない。

「日本」、「関東」と、共通するキーワードは「水」だ。
弁財天は水神の市寸島比売命(イチキシマヒメノミコト)と仏教が集合して誕生した。
海、川、湖などの近くに祀られている訳もここにある。
宝船に乗り、漁をする恵比寿様の水先案内人の役割を与えられているのが弁天様なのだろうか。

弁天様や観音様と聞くと、なぜか男はパンパンと柏手を打って怪しげな御利益など願ったり、その筋の方は背中に弁天や観音の落書きなんぞをしてしまったりする。
唐獅子牡丹、昇り竜、観音様、そして弁天様は落書きの四天王である。
信仰の対象としての個人の取り込み方はさまざまだ。
そういえば、弁天小僧は江ノ島出身の設定だった。

知らざあ言って聞かせやしょう、浜の真砂と五右衛門が、歌に残せし盗人の、種は尽きねえ七里ヶ浜、その白浪の夜働き、以前を言やあ江の島で、年季つとめの稚児が渕…。

賽銭ドロから果ては美人局まで、その筋の方々のルーツは弁天小僧にあった。
しかし現役の方がモロ肌脱ぎで、文句あっか、と自宅を訪ねられると怖いので、この話題はオシマイ。

ちなみに小林一茶は文化九年に布施弁天を訪れ、次の句を詠んでいる。


米蒔くも罪ぞよ鶏がけあふぞよ  一茶


エサとして蒔かれた米をめぐって、ニワトリが互いを蹴り合っているというほどの矚目句でる。
三十年余りの漂泊ともいえる人生に区切りをつけ、


いざいなん江戸は涼みもむつかしき  一茶


と詠んだのも同じ文化九年、安住の地を求めて江戸から故郷信濃へ戻る前年のことである。

その「布施弁天」は千葉県柏市にある。
昭和四十年代のことだが、区の施設があって、何度か林間学校に行ったのが布施弁天の近くだった。
上野からチョコレート色の省線に乗り常磐線柏駅で下車、田舎道を長いこと歩かされた記憶がある。
今は工場や住宅が密集する東京近郊のありふれた土地として、国道6号線や16号線により交通の要衝になっているが、四十年代当時、辺りはまだ一面の田園地帯だった。

昭和八年の正月二日に成田山の初詣を終え、二日後のこの日、末夫さんは布施弁天を訪れた。
我孫子から利根川へ至る道の周囲には冬枯れの長閑な風景が広がっていただろう。
田や畑の畔道には福寿草や、早いフキノトウが顔を出していたかも知れない。
そして今では考えられないほど賑わっていたらしい布施弁天の門前。
末夫さんが何を願って手を合わせたかは判らないが、翌日には再度常磐線に乗り、袋田の滝に向かっている。
(アップの順番が前後したのはご容赦願いたい)
この年の恵方は北東だったのだろうか。
上野を起点とした末夫さんの小旅行は以後しばらく続く。(太田)



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