三嶋大社


初夏の某日、南伊豆に一泊し、逆天城越えをした帰路の途中で三嶋大社に寄った。
無料だと思って入った神社駐車場の入口では年配の制服男性二名が立ちはだかり、図らずも200円を徴収されてしまった。
そこでお賽銭は5円にとどめたが、可能なら男性二名に5円、賽銭箱に200円と配分を変更して欲しかった。
三嶋大社は3回目だが、前回に訪れたのは30年近くも前のこと。
以前の駐車場の記憶などまったくない。

山間から市街地に入ると少々蒸し暑かったが、境内はぐるりを木立に囲まれて涼風が渡り爽快だ。
荘厳な雰囲気の中でお参りを済ませた。
境内を散策。
回廊の隅には何故か「三嶋大社」の大きな扁額が置いてあり、いつの時代か知らぬが、これはかつて鳥居か本殿に掲げてあったものかも知れない。
樹齢千二百年という天然記念物の巨大キンモクセイもあったが、花の時期はその香りにむせるくらいの芳香なのだろう。

宝物館一階の土産物売り場(ここではミュージアムと呼ぶらしい)で「三嶋大社の四季」というビデオを観て外へ出るとケモノのにおい。
近くに多くの鹿が飼われている一画があった。
神鹿園というらしい。

神門を出ると、頼朝と政子の腰掛石がある。
何となく胡散臭いけれど、せっかくなので頼朝石に腰掛けてみる。
この時、頼朝三十三歳、政子二十三歳。
治承四年五月とあるが、叔父の源行家(新宮十郎)から以仁王の令旨を伝え聞いたのが四月。
翌月にはさっそく願掛けの百日参りを始めている。
そして挙兵が八月。
ちょうど百日参り満願の頃であろうか。

駐車場に戻ろうとすると、観光バスが一台着いた。
降りて来たのは高齢の男性ばかりが40人ほど。
三嶋大社崇敬会の人たちだろうか。
見るともなくぼんやり見ていると、先ずは神門をバックに全員で記念撮影。
写すのは観光地などによくいる写真屋さん。
パイプで組んで板を渡した簡易ひな段に並ばせ、
「あ、そちらの前列の隅の方、もう少し寄って下さい」
「三列目の方は、全体的に広がって!」
などと指示を出している。
注意された人は、
「あんたのことじゃろが。 ん、わしのことかいな?」
と互いに周りを見回し、それでも立派な被写体になるべく、精一杯胸を張っている。
しかし写真屋さんは納得がいかないらしく、シャッターを切るのに手間取っている。

やっと全員の立ち位置も決まり、さて、では撮りますよ、となったタイミングで、急ぐ用事もない私は大した理由もなくひな段の最後列に立った。
そこでシャッターが下りた。
参拝中に写真が出来上がるのか、後日郵送されるのかは知らぬが、写真を見た人たちは、
「この一番後ろの人、見かけん男じゃが、いったい誰だろか?」
「あんたの背後霊かも知れんぞ」
などと大騒ぎになったに違いない。
申し訳ないことをした…。(太田)



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この記事へのコメント

桓武平氏末裔
2008年08月15日 19:28
三嶋大社のHPなどを見て気付いたのですが、前記事の生原稿に「みゆきの石」「源太が腰掛石」とあるのが、いつの間にか頼朝と政子の腰掛石となったのではないでしょうか。
源太とは頼朝の兄、悪源太こと源義平でしょう。
義平の妻は新田義重の娘、祥寿姫であって、何を調べてもみゆきの名は出て来ません。
謎の女性みゆきとはいったい誰なのか気になります。
清和源氏末裔
2008年08月18日 22:26
困りました。
いろいろ調べましたが、やはり「みゆき」の正体は不明です。
みゆきが義平の妻妾であれば話は簡単なのですが…。

清盛によって六条河原で斬首された義平は弱冠二十歳の若者でした。
ですから常識的に考えれば祥寿姫は義平より年少とするのが自然でしょう。
若くして仏門に入った祥寿姫ですが、のちに鎌倉幕府をひらいた頼朝から、側室になるようにと秋波を送られています。
もちろん新田義重は拒絶していますが、兄嫁にちょっかいを出す男なのですね、恐妻家の頼朝という男は…。
それほど祥寿姫は美人で魅力的な女性だったのでしょう。
しかしあまり男女入り乱れて好き勝手なことをされると、歴史を学ぶ後世の我々は家系図や系統図を見ても混乱して覚え切れません。
程々に願いたいものです。

頼朝は義平の六歳年下。
祥寿姫はおそらく頼朝に近い年齢だったと思います。