平泉迴遊


昭和八年一月二日に平泉を訪ねた折の紀行文、大正二年生まれの末夫さんが二十歳の時の記録です。
建築設計で身を立てる以前のことで、設計士としてはまだ駆け出しの頃のものですが、フリーハンドながらスケッチに多用されている直線描写の几帳面さに彼の資質の萌芽を感じます。
たった一日で厳美渓から平泉までを周遊する慌ただしい行程なので、スケッチは簡単なデッサン程度で済ませ、帰宅してから念入りに描き直し色を乗せたのだと思います。
彩色する前の原画も別にあり、下の絵とは若干違う部分もあるので、もちろんコピーなどない時代ゆえ、トレッシングペーパーでなぞり、完成させたのかも知れません。
おそらくその作業を進めながら、紀行文の構想を練っていたのでしょう。

一枚目は「光堂」ですが、現在の私たちが知っているのはコンクリートで覆われ、空調の利いた室内に閉じ込められた光堂で、この絵のような光景はもう見ることは叶いません。
しかしそれ以前には鎌倉時代に造られた覆堂があったはずであり、その覆堂が一時的に解体されたのは昭和五年から六年にかけての金色堂修理の間だけで、それ以外、当時の詳細は分かりません。
ただ、コンクリートで固められた今とは違い、「おくのほそ道」で芭蕉も見たそのままの光堂を末夫さんも目にしたことになります。

四枚目は達谷の窟。
番人が不在だったとあるので、拝観料などに関しては大らかな時代だったのかも知れません。

それにしても一月二日の朝に一関の駅頭に立っているのですから、元日の夜に上野駅を発ったのでしょう。
まだまだ国内の移動も自由な時代で、末夫さんもストイックともいえるほど傾注していた登山とは違い、気の合った友人と語らいながらの旅行は、また別の意味で後々まで珠玉の思い出として残ったことと思います。(太田)



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