都県境を歩く (川苔山・蕎麦粒山)


1996年2月14日 (水曜日)

画像日原街道から車を川乗林道へ乗り入れ、細倉橋の手前に駐車、ここが登山口となる。
装備を整えて8時出発。
この時期にしては暖かいのがうれしい。
なにしろ今月の5日には五日市の払沢の滝が完全氷結したというほどの寒い冬で、家での灯油使用量も増えている。
今回も寒さ対策は万全、肌着もウール、セーターもカシミヤを着こんで来ている。
いつもながらの単独行なので仕方ないが、連れでもいたら、
『触ってごらん、ウールだよ』
と自慢したい。


すぐに暗い樹林帯を抜け、半ば凍りついた足下の小滝を見ながら木橋で左岸へ渡る。
関東は深刻な水不足とかで、確かに沢の水流も細く痩せている。
コース上はところどころ厚いアイスバーンになっていて緊張を強いられる。
場所によっては鎖やフィックスロープを渡してある箇所もあるが、軽アイゼン程度は欲しいところだ。
まだ日も射さず、谷全体の印象は寒々しい。
歩を進めるうちに海抜700メートルの標識が現れた。
標識といってもマッチ箱くらいの白いプラスチック片で、これがコース上に張り出した木の根などの目に付きやすい部分に釘で留めてある。
この標識が以後、稜線に出るまで50メートルごとに現れるのだが、自分の稼いだ高度や残りの標高差の目安が判り、ずいぶんと有難かった。

木橋で何回か沢を渡り返しているうちに、対岸に小さなワサビ田と作業小屋が出現する。
暗い谷筋だがよく踏まれた静かな道で、しみじみと歩くには良い部分だ。
全体が自然林で、新緑や紅葉の頃の素晴らしさはいかばかりかと思う。
750メートル付近から小さな尾根を乗っ越すと、正面に衝立のような岩壁が見えて来る。
岩登りのゲレンデに良さそうなフェイスだが、部分的に崩落防止のネットに被われている。

直登の手前に小さなレリーフがあった。
以前はこんなもの無かったなあと近づいてみれば、それは遭難者の追悼碑だった。
昭和五十九年九月とあるので、知らないのも無理はない。
私がこのコースをたどったのは確か四十年代も終わりの頃だったと思う。
碑文を読むと、それはSさんという19歳の女性を追悼するものだった。
九月の遭難とはどのようなケースが考えられるだろう。
正面の岩場からの滑落か、それとも直登中の落下か…。
いずれにせよ、Sさんの冥福を祈らずにはいられない。
私とほとんど変わらない世代だ。
碑の正面に足を揃えて立ち、手を合わせ頭を下げる。

直登した先に百尋の滝があった。
なかなかどうして堂々たる姿だが、ここ数日の気温のゆるみのせいか、七、八割の氷結といったところで流量は少ない。
滝を正面に見る階段に腰掛け、今日はじめての小休止とする。
滝を眺めながら、遭難ということを考えていた。
無謀だった十代。
奥多摩、丹沢と進み、沢から岩へ。
谷川岳へ通うまでに時間はかからなかった。
私が遭難していたとすれば、それは間違いなくこの時期だったろう。
谷川といっても一ノ倉は10回にも欠ける程度で、ほとんどは幽ノ沢のフリークライムが中心だった。
とにかく怖いもの知らずの若さと、腕力任せの岩だった。
その日、土合駅で知り合った男と即席のパーティーを組んだこともあった。
親に隠れて通った日々。
心配を掛けた母もいまは彼岸の人となってしまった。
歳を重ね、分別がついて来るにしたがって込み上げてくる苦さ。
多少のブランクはあるにせよ、今なら危険を察知することにも敏感になり、かつてのような無謀な真似はしないだろう。
しかしそう思う反面、実際はどうか。
今日、私がここにいることを誰も知りはしないのだ。
もう命を削る山などやる気もないが、装備以外の部分で少し無防備すぎやしないか。
それでも惹かれる山。
それでもひっそりと訪れたい山。
大部分ではないにしろ、山なくして自分を語ることなど出来はしない。

850メートルを過ぎた頃から背後の眺望が利くようになる。
石尾根の六ツ石山がすっきりした形で現れ、正面には目指す川苔山も見えて来た。
高度を稼ぐにしたがって汗が噴き出し、たまらずにカシミヤのセーターを脱ぐ。
小さな赤い祠を左に見て痩せた尾根上に出ると、950メートルを越して左に巡視道を分ける。
一度下って火打石谷を渡り、ゆるい登りで足毛岩への分岐に着く。
ここで二度目の休憩を取り、汗をぬぐって喉を潤す。
ひっそりと息をひそめれば、野鳥たちの声に包まれてそのまま自然に同化して行くような、何とも心地よい錯覚に囚われる。
頂上までは標高差にしてあと300メートルといったところか。
気合いを入れて足を運ぶ。
横ヶ谷を挟んで右手には川苔山の山頂がもう指呼の距離だ。
南斜面の明るい道から一転して、谷の薄暗い源頭部へと進む。
1,200メートル付近から谷筋を離れ、尾根へと取り付いて最後の登りを頑張る。

見通しの利かないスズタケの中の道を行くと、突然視界が開け、川苔山の東の肩に飛び出した。
ひっそりと静まり返った川苔小屋の前を通り防火帯の道を山頂へ。
10時30分、山頂にたどり着いた。
大満足の眺めが広がった。
ただひとつあるベンチは一人の登山者が占領していたので、「こんにちは」と挨拶し三角点へタッチ、すぐ脇の露岩に腰を下ろす。
ひと息ついたところで立ち上がり、広い山頂を歩き回って眺望を満喫する。
東面は疎林に阻まれて見通しが悪いが、それ以外は素晴らしい大展望だった。
蕎麦粒山、三ツドッケ、酉谷山、芋ノ木ドッケ、そして雲取山へと続く長沢背陵。
石尾根の小雲取山と七ツ石山の間には飛竜山が頭をのぞかせている。
鷹ノ巣山と六ツ石山の間に大菩薩。
石尾根が氷川に尽きる辺りの奥に三頭山。
その右肩にうっすらと富士山がある。
本仁田山と御前山は前後に行儀良く並び、大岳山、御岳、日ノ出山と少しずつ標高を下げて行く。
山頂をうろうろと、飽かずに眺めを楽しんだ。
それにしても暖かい。
南斜面に近づけば、時折モワッと生暖かい風が吹き上がって来る。
帰宅してから判ったことだが、この日、東京は気温20度を越し、秩父では23度まで上がったとのことだった。

眺めに満足したところで、ごく自然に先行の登山者との会話が始まる。
四十代後半といった感じの男性で、いかにも山慣れたベテランのようだ。
高価なウエアを着ている。
成田から車で午前三時に出て来られたとかで、大丹波川から獅子口小屋経由で登って来られたらしい。
今日はここでのんびりするらしく、見ればワインボトルを一本担ぎ上げて来ている。
『今日はここでコレが目的なんですよ』
ボトルをかざし、白い歯を見せた。
成田ということで、ヒコーキの運転手さんかなと勝手な想像を巡らせる。
しばらく山の楽しい話に花が咲いたが、先があるので失礼し、頂上を後にした。

東の肩まで戻り、曲ヶ谷北峰からは凍りついた斜面を急降下、一路蕎麦粒山を目指す。
山頂辺りに目を凝らせば、整った頂きに、冬枯れた疎林がまるで産毛のように見えて可愛らしい。
すぐ左にはラクダの背のような三ツドッケが、これもまた愛らしく控えている。
踊平までは防火帯の気持ちの良い道を、大したアップダウンもなく行く。
日当たり良好で、どこに場所を定めても休憩や食事には持って来いの場所だ。
昼寝でもしたら爽快だろう。
こんなところはいつも惜しみながら歩くので、ついペースが遅くなってしまう。
すぐ左には今しがたまでいた川苔山が立派だ。

踊平では一人の登山者が休憩を取っていた。
五十前後の男性だった。
挨拶を交わし、そのまま何となく立ち話となる。
この人も先ほどの人と同じように大丹波から獅子口小屋を経て登って来られたらしい。
日帰りとのことだが、ずいぶんと大荷物を背負っている。
蕎麦粒から三ツドッケを目指すということなので、方向は私と同じだ。
話好きな方で、『ご一緒しませんか。おにぎり、いかがですか』と誘ってくださる。
即席のパティーを組むことは先ほど自分に戒めたばかりだし、誰が握ったか判らないおにぎりは気持ちが悪い。
(誰がが握ったか判らないのだ。そんなもの食べられますか)
遠まわしに辞退し、それぞれのペースがあるので先行して貰うことにした。
その方は、
『それでは日向沢ノ峰でお待ちしてますよ、でもその前に追い付かれちゃうかな』
と歩き始めた。
私は腰を下ろし、アーモンドチョコで小休止とする。

日向沢ノ峰のひとつ手前のピーク、火打石山への直登に喘ぎ、日向沢ノ峰にたどり着くと、先ほどの人が食事を取っていた。
少し遅れて私も食事タイムとする。
露岩まじりの貧弱な山頂なので、蕎麦粒や三ツドッケを眺め、やはり山の話をしながら立ったままおにぎりを頬張る。
お名前は知らないので、仮にAさんとしておこう。
このAさんも山のベテランらしく、石尾根の鷹ノ巣山には峰谷から150回も登られているらしい。
江東区の砂町で観賞魚のお店を開かれており、定休日が水曜と決まっているので、毎週水曜には必ず山へ入っている由。
ここは今年に入ってすでにもう三度目だとおっしゃる。
三ツドッケまでピストンの予定とかで繰り返し誘って頂くが、ご遠慮申し上げ、再び先行して貰う。

日向沢ノ峰を後にして、蕎麦粒山まではずっと防火帯の尾根上を行く。
埼玉との都県境でもあるこの道は標高1,300メートル程度の高みにあるにもかかわらず、まるで武蔵野の自然林を散策するような風情がある。
幅広い防火帯と、すっかり葉を落とした林のお陰で明るく伸びやかなコースになっており、日溜まりハイクの趣きだ。
棒ノ折山と有間山への道を右に次々と分け、淡々と蕎麦粒山を目指す。
ひとつ手前のピーク上で四人組の男性の大宴会を見送り、急登ののち山頂へ。
ここには三ツドッケを目指したはずのAさんの姿があった。
どうやら時間切れのようだ。
『またどこかでお会い出来るといいですね』
と挨拶して、山頂を後にするAさんを見送り、三角点にタッチしてからのんびりとコーヒータイムにする。
展望は利かず、静かだけが取り柄のようなピークだが、畳一畳ほどの平らな岩の上にゴロンと横になってトカゲをする。
こんなことも山の楽しみのひとつだ。
心がふわりと浮き上がって、ゆらゆらと辺りを漂っている気分になる。
こうして30分もいただろうか。
2時半になったのでそろそろ撤収とする。
ピストンも考えないではなかったが、蕎麦粒から南へ派生する鳥屋戸尾根をストレートに川苔山林道へ下ることにする。
手持ちの市販の地図には表示こそないが、道があることは判っている。

山頂から少し下ると十字路になる。
正面は尾根上を笙ノ岩山への道。
標識はないが、右は仙元峠への道だろう。
仙元峠とは、元々「浅間」ではなかったかと考えている。
それはこの峠が、秩父の人たちが富士参りをするために通った道であり、足腰の弱い人がここで富士山を遥拝して戻ったと聞いたことがあるからだ。
古い記憶で曖昧だが、仙元峠を越えた秩父側に小さな祠があったように覚えている。
確か浅間神社という名ではなかったか…。

下に末夫さんのスケッチ帳から探し出した絵を載せるが、昭和九年に描いた一冊の中に、確かに祠がある。
これに間違いないだろう。

画像

この古い往還は、奥多摩を結ぶ生活道路でもあった。
仙元峠もしばらくご無沙汰である。
峠とはいいながら、実際はピークであることも新鮮な峠だった。

十字路は左へと下る道を選ぶ。
樹林帯の中を下降すると程なく、また分岐があった。
直進は「巡視道」との標識だけが出ている。
これはぐるっと塩地谷をトラバースする道に違いない。
周回コースにはなるが、車を置いてある細倉橋までは遠回りになってしまう。
迷うことなくもう一本の道を選ぶ。
尾根の東面をゆるゆると下って行く気配のこの道は踏み跡も明瞭で、方角的にもドンピシャリ。
しかし私はここでミスを犯していた。

なだらかに続くコースからは、左に桂谷を隔てて川乗林道が見下ろせた。
林道へ下りさえすれば細倉橋までは一本道だ。
ある程度進めば林道へ合流するはずと読んだ。
大した疑問も抱かず、はっきりとした道を進む。
ところどころ、ぬかるみが乾いた跡にはニホンカモシカの足跡が入り乱れていたり、鹿の糞が落ちていたりする。
だが明瞭な道であるにもかかわらず、この辺りまで来ると人間の歩いた痕跡というものがまったく無かった。
少しだけ不安が頭をもたげた。
だが、道はゆるゆると続いている。
できればそろそろ急下降してくれないかと思いながら、なおも進む。
行き過ぎるのではないかとの心配があった。
道は相変わらずなだらかに続き、一気に下る気配がないので、感覚ではもう笙ノ岩山の東面を歩き始めている頃かも知れなかった。
だとしたらこのまま日原街道付近まで連れて行かれてしまうだろう。
林道を登り返すアルバイトを考えると、とたんに気持ちが萎えてしまう。

引き返そうかと思案を始めた頃、細い尾根上を左へと行く道が現れた。
標識などはないが、迷わずにそちらを選ぶ。
方向と方角からいうと、この道こそがドンピシャリだった。
ほっと胸を撫で下ろした矢先だった。
尾根の崩落で道が行き詰ってしまった。
谷を隔てて眼下には林道が見えているのに、これではまったくのお手上げだった。
しかし幸いなことに、よく見ると少し戻り加減だが巻き道らしきものがある。
当然という感じでこの道を行く。
だがこれが巻き道ではなかった。
道はすぐに不明瞭となり、小さな涸れ沢に突き当たってしまった。
下る道は無かった。
沢に沿い、道ともいえないケモノ道らしき踏み跡をたどって登る。
案の定、元の道に合流してしまった。
仕方なく再びこの道を行く。
いつの間にか引き返すなどという考えは頭から離れていた。
ここまで来てしまえば、林道を登り返すほうがマシだとの思いが勝っていた。

道は少しずつ不明瞭になり、いくつか崩落箇所も出て来た。
ここまで来て、この道がすでに廃道となっていることにやっと思い至った。
さあどうする。
先ずは自分を落ち着かせるために水を飲み、アーモンドチョコを口に放り込む。
地図を取り出して地形を読む。
するとまだそれほど来てはいないことが判った。
だが、かなり尾根筋に近い場所にとどまっていることも判った。

このまま進んでみることにした。
行き詰まっても多少の藪漕ぎをすれば尾根へ逃げられるし、またそれ以上に、行き詰まるとは考えにくかった。
途中まで明瞭だった道が、下るにしたがって完全に消えてしまうなど、どう考えても有り得なかった。
これが逆ならまだ考えられる。
問題はこの道がどのくらい前から歩かれなくなったかということだ。
もしそれが古いことなら、下部の方が荒れている可能性があるからだ。
意を決して前へ進む。
大きな露岩をトラバースし、めくれ上がった木の根を跨いだり、倒木をくぐったりして行く。
山と積もった落ち葉に膝上までもぐり、半ばもがくように歩く。
落ち葉のラッセルだ。
こんな場所はコースが消えているので、先のルートを見つけるため慎重にならなければいけない。
いつしか樹林帯に入り、道は下降を始めた。
暗い中でのルートファインディングは厳しかった。
時間が経てば、日が落ちてルートを見定めることも出来なくなってしまう。
ざわざわと落ち葉の海を泳ぎ、崩落でコースが途切れた箇所は木の枝にぶら下がったり巻いたりしながら下降を続ける。
急斜面では道がジグザグに付けられた部分もあり、こんなところは落ち葉の堆積もないのでルート探しに神経を遣うことがなく楽だ。
やがて下の方に桂谷の沢床が見え始めて来た。
ここまで来ればひと安心と、一気に沢へ下る。
この沢を渡れば林道はもうすぐのはずだ。

沢には朽ちかけた木橋が架けられていた。
沢は完全に氷結しており、不気味に静まり返っている。
恐る恐る木橋を渡る。
まったく生きた心地のしない瞬間だ。
何とか渡り終え、いくらか明瞭になりかけた道を行く。
コースは沢の左岸の高みに付けられ、南から東へと方向を変える。
その地形から、この谷は間違いなく桂谷だった。
やっと現在位置を100%把握する。
右は切り立った崖で、道は相変わらず深い落ち葉に埋もれている。
やはり朽ちかけた木橋をいくつか渡り、やっと川乗谷の本流に並行する林道に出た。

流れで喉を潤し、タオルを濡らしてゴシゴシと顔を拭う。
安堵感とともに少しの脱力感。
先ずはご無事でなによりと、チョコを一粒。
ここまで来てみれば廃道云々はともかく、最短コースではあったのだ。
のど元過ぎれば何とやらで、いい緊張感だったなと苦笑。
現金なものだ。
水筒の水を入れ替え、これは帰ってから淹れるコーヒー用のもの。
後はのんびりと林道を下るだけだ。
すぐに「たきうえはし」という古い石橋を渡り、これですぐ下流に百尋の滝があると知れる。
林道上から滝の全景を見物し、心地よい疲労を全身に感じながらブラブラ歩きで細倉橋へと向かう。
車にたどり着いたのは4時30分だった。

国土地理院の2万5千図では「川乗山」と表記されていますが、文中では現在一般的に使用されている「川苔山」で統一しました。(太田)



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この記事へのコメント

おっさん
2010年11月16日 13:37
川苔山で出会った40歳代後半の登山者はどうやら私のようです。山行日記を見ると1996年2月14日(水)に川苔山に行ってます。ワインも飲んでいます。成田を3時とはまさに私ですね。ほとんど覚えていませんがまたどこかでお会い出来るかもしれません。
 砂町の鑑賞金魚販売の方。この方も水曜日休みとかで、雲取山で2度会っています。
管理UNION
2010年11月17日 19:38
山頂でワイン。こんな山の楽しみ方もあるのかと驚き、憧れたことを覚えています。
あれから15年近い年月が流れ、当時を懐かしく思い出します。
私はピークを稼ぐことばかりに熱中していた時期でした。
以後は奥秩父を集中的に歩きましたが、現在は年に数回程度、低山を歩くだけになりました。
これからは山頂でワインを持った方を見たら、必ず声を掛けてみようと思います。その時は、ぜひ数々の山の話をお聞かせ下さい。
コメントをありがとうございました。