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zoom RSS 買い出しも旅、茨城の猿島郡まで自転車で 1

<<   作成日時 : 2017/11/25 20:00   >>

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 (昭和19年)九月ごろ、町工場に行っている四男の兄は会社から作業服一揃えに帽子から軍手、軍足、地下足袋までもらって来て、私にこれを食糧と交換して来てくれという。これらは農家でもっとも喜ばれる物物交換の品物だった。私はさらに倹約してためておいた電球と石鹸を添えて、これなら必ず食糧は手に入ると妻と二人で喜び勇んで出かけて行った。

 汽車の切符は面倒だったから大宮まで省線で行き、その先をバスで岩槻まで行った。そして農家を一軒一軒品物を見せて乞食のように物交を乞うて歩いたが、もうこのときにはこのあたりでは薩摩芋一本手に入れることができなくなっていた。がっかりして帰る道すがら、収穫の終ったあとの芋畑から取りこぼした屑芋を見つけた。夕闇に紛れて妻と二人で一生懸命拾い集め、リュックに詰めこんで持って帰った。家で盥にあけてみるといっぱいになった。芋は屑だが、けっこう食べられた。

 これに味をしめて、その後三日おきぐらいに三回ほど役所が退けると、その足で屑芋拾いに出かけた。帰りはいつも夜になって大宮から省線に乗るのだが、見ていると東北本線から上って来る列車からは、どの人も背負いきれないほどの荷物(食糧)を持った人が降りて来る。私はそれを見て、この奥に豊かな食糧地帯が必ずあるのだと睨んだ。そして家へ帰ると早速大きな関東地方図を広げて調べてみた。

 私の目に止まったのは茨城県の猿島郡だった。そこは東京に比較的近いのに、交通は不便で、いってみれば関東の陸の孤島のようなところだ。それに昔よく徒歩旅行をしたとき、一緒になった都落ちしていく乞食が、猿島郡は食糧の豊かなところだといっていたし、栗橋カボチャの農家の人も、もっと奥のほうがいいよといっていた。その猿島郡はサイクリングでよく走ったことがある。起伏の多い広大な原野が広がり、人家もまばらで、緑濃い草深さが平将門時代そのままの自然のようで、あそこにはきっと食糧があると思った。

 私がそんなことを考えついたとき、役所では買い出しの材料にでもしろというのか、いろいろな品物を配給してくれるようになった。私はそうした品物を携えて、九月中旬、試みに猿島郡へ自転車で乗り入れた。

 茨城県の境町から結城まで猿島郡のほぼ中央を長閑な松並木の県道が走っていて、その真ん中に八俣(やちまた)村という村がある。このあたり一帯が草深い田舎で、何か食糧の豊かそうな顔をしていた。私はここを中心にして物交を始めたが、かなり大量の麦や薩摩芋を手に入れることができて、帰りには自転車が圧しつぶされるほどで、ここは私の目算どおりの食糧の宝庫だった。

 これを契機に自転車利用の買い出しが始まり、終戦後の昭和二十三年ごろまで延々と続いた。汽車では切符が手に入れにくかったし、途中駅での取り締まりも恐かったから、猿島郡のような交通不便なところへは品物を探して歩くのにも自転車は実に便利だった。

 八俣村へ行くには谷中の私の家を午前四時ごろ出発して、千住から陸羽街道(四号線)を越谷町に出、右へ、野田への県道をとって江戸川を渡り、野田から関宿(せきやど)を経て利根川を渡って境町へ、境町から一直線に八俣へ走るのだ。八俣へ着くのが午前十時ごろで午後三時ぐらいまで物交をして、ふたたび往路を帰って来るのだが、家に着くのはいつも夜の十時をすぎた。

 この買い出しは実に楽しかった。越谷をすぎるあたりから急に野趣豊かな田園風景となり、初夏の松伏(まつぶし)村は絵に描いたような水郷の美しさを見せていたし、煉瓦づくりの倉庫や煙突の立ち並ぶ古風でのんびりした醤油の野田の街、そして大名行列でも出て来そうな関宿の松並木街道、利根川にかかる橋も舟の上に板を並べた長閑な仮橋で、その橋を渡るときの楽しさといったらなかった。暑い日盛り、買い出しが少し早く終ると猿股ひとつになって水遊びをしたことも思い出深い。あのころの利根川の水は実にきれいだった。戦争が私から本来の旅を奪っていったが、この長距離買い出しを始めてから「買い出しは旅だ」と思うほど、それは楽しいものになっていった。

画像 この買い出しにはもう一つ別の楽しみがあった。それは大きな労務者用の弁当箱に二食分の飯をぎゅうぎゅう詰めにして持って行けたことである。飯といっても米粒は数えるほどしかなくて、ほとんどが麦と芋だったが、お菜などなくても芋の甘さがいい味つけになって、こんなうまいものはないとさえ思った。

 その楽しい食事を農家の庭先でしたり、景色のいい川っ縁(かわっぺり)で遠い山を眺めながら腹いっぱい食べられるのは買い出しをすればこそ味わえる楽しみだった。たまに農家で白いご飯に味噌汁などをご馳走になることもあったが、そうしたときは弁当は少しでも残して家に持って帰った。

 このようにして、わが家の買い出しは私が一手に引き受けることになった。四男の兄は飛行機のビスづくりに忙しく、妻は防空訓練、防空壕掘り、工場への勤労奉仕と私たちのぶんまでかわって引き受けていたからであり、そんなわけで私は週に一回は雨が降っても買い出しに出かけて行った。

  〈 草思社発行 長谷川末夫著 「汽車が好き、山は友だち」より抜粋 〉

(転記 太田)

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